2011年12月17日

この人が好きだ:飯島愛

飯島愛さん 命日はこの季節。でも命日ははっきりしない。一人自室でなくなったことだけがわかっているだけだ。
この季節になると深く思い出す。このブログで毎年触れているのだが、数多い有名人の中で彼女のことがことに記憶に残るのはなぜだろう。もちろん好きなタレントさん、好感が持てる人物というのはあるのだが。
彼女が亡くなった状況もあわせていまでも心に重い。

彼女のブログがまだこのアメーバにあって、いまだコメントがついている。彼女を思う人は多いということだ。

この季節の恒例でビデオライブラリから彼女が出演しているものを選んで見返してみる。親交があったという中山秀征さん、光浦靖子さん、鈴木紗理奈さん、千秋さんへの毒舌を混ぜて愛情とユーモアを込めた発言が染みる。
こうして友人はもちろん直接は知らないファンの心に残るということは幸せなことだと思っていいのだろうか。でもそれは夭逝したことと同義ではなかろうか。現役を引退して忘れられつつも安楽な余生を楽しむことと両立はしないのではなかろうか。

彼女は芸能界を引退していたが、無為に過ごしていたわけではなかった。性感染症の予防を訴え、社会活動とビジネスで推進しようとしていたと聞く。
こういうのは呼びかけるだけの社会活動では進まんのだ。ビジネスにならないとね。脱線するけど小学校高学年になったら避妊とコンドームのつけ方について教育すべきだと思うね。忘れないように毎年。徐々に具体的に。ま、この話題はまた改めて。


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彼女のことを思い出すと連想して最近亡くなった人を思い浮かべる。
幸い、ここ数年近いところに弔事がないため有名人のことを思い浮かべる。
上原美優さんの件はショックだった。グラビアアイドルだけでなくバラエティでも大活躍。全力で取り組む姿に共感していたのだ。たとえ面識が無くとも注目している人が亡くなるとショックだ。

事件の前後に放映されていた番組を見た。
精巧な食品サンプルを作る工場をレポートする企画だった。遠目から本物とサンプルを見分けるゲームがあり、選んだほうをかじるというものだった。間違えればサンプルをかじらねばならない。
共演のお笑い芸人は軽くかじって見せたが、上原さんは本気でかじって芸人のお株を奪う頑張りぶり。こんな姿が素敵だった。

他の番組でもあえて悪ぶって見せたり(全然悪く見えないんだが)、強烈に持論を展開したり変幻自在。見る側にはあまりわからないが、タレントのセオリーというものがあるのだろう。そこをはみ出してみせる人だった。なかなかこんなタレントは出てこないだろう。

もちろん飯島さんも上原さんもテレビで拝見しただけ。面識どころかイベントなどで直接姿を見たことも無い。この染みる深さが彼女らの魅力の大きさなのだろう。
悔やんだところで亡くなった人が帰って来るわけではない。幽霊でも夢枕でも一言交わせるなら歓迎する。縁起でもないか。
こうやって思い出されることだけでもタレントとしては幸せだと言ってしまっていいのだろうか。悩ましい。


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脱線する。
有名人の死は詳報されるため、自らの最期に置き換えて考えてしまう。
あっという間に事故で、不治の病で覚悟して、自ら死を選んで、急病で一人で、身内に見守られて。大変に重い。心にのしかかってくる。

有名人の死あるいは広く報道される印象的な事件事故での死は「伝染する」と言われている。いわゆる「ウェルテル効果」である。
ウェルテル効果とされる行動は統計的に調べるほかは無く、内面を検証したり比較実験ができるものはない。それゆえ異論もある。
薄皮一枚でとどまっている人の背中を押すだけなのか、まったく思いもしない人を駆り立てるものであるのか。

飯島さん上原さんをはじめ、有名人の死・大事件にはショックを受けた経験が何度もある。セナ様の事故はきつかった。気持ちが重い。ウェルテル効果を駆動する要素が自分の中にあることを体感する。正直この知識が無ければわが身もと思わなくもない。
脳みそを開けて調べるような時代がこない限り明らかにはならないだろうが、ウェルテル効果が無力ではないことは明らかだろう。また報道を止めることもできない。それはそれで暗い未来だ。

報道を押さえ込むとかそういうことではなく、人間の心理行動についてオープンに学び、議論し、自分を客観視し、命の壁を踏むはずす人が一人でも減ることを祈るばかりである。
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2011年12月05日

この人が好きだ:安藤百福

高名な日本の経営者・企業家を挙げると松下幸之助、本田宗一郎といった名前が挙がるだろう。
だが、私なら一番に安藤百福氏の名を挙げたい。
あの日清食品の創始者である。

即席麺を考案し、今もトップブランドであるゆえにテレビなどで紹介されることも多い。だが時間の制限もあり、ずいぶんと省略された紹介のされ方でもある。
たいていは、チキンラーメンとカップヌードルの二本立てで紹介される。
・チキンラーメンの研究に行き詰まっていたとき、妻が天婦羅を作るのを見て油で揚げて麺を乾燥させる方法を思いついた
・アメリカにチキンラーメンを売り込みに行き、現地のバイヤーが紙コップにチキンラーメンを割って入れお湯をかけて食べていたのを見てカップ麺の発想を得た
・飛行機で出されたナッツがアルミ箔で蓋をされているのをみて、カップ麺のパッケージ方法を決めた
・銀座の歩行者天国で試食販売をした
・あさま山荘事件で機動隊がカップヌードルを食べる姿が中継されヒットにつながった

このへんが紹介されるところだろう。

なんとなく思いつきと幸運「だけ」で成功した人みたいな印象になる。
しかし調べてみると不運に負けない不屈の精神、方向性を誤らない先見性を持つ人なのだなと思うのだ。この辺をちょっと紹介したい。


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彼は若い頃から様々な商売を成功させてきた。だが挫折もあった。

父親の遺産を元手に手広く商売をしてきたが、戦中には憲兵に目をつけられて拷問されたり、戦火で財産を失ったりした。戦後も事業を再開するもGHQに目をつけられて収監されたりもした。
それでもくじけることなく次々と事業を成功させていた。

チキンラーメン開発前には請われてとある信用組合の理事長になったのだがこれが突然破綻。自宅以外の事業や財産を全て失った。経緯を見るとどうも彼を破滅させる陰謀にも見えるのだがかんぐりすぎか。
ともあれ、この自宅脇に建てた小屋でチキンラーメンの開発を一人行うことになった。

チキンラーメン開発に取り組んだ動機として、戦後の物資不足・食料不足があった。
終戦期の混乱の中、食料生産基盤も流通も壊滅状態である。物資は闇経済に流れ人々が闇市に群がる。わずかで粗末な食べ物にやっとありつく状態は彼に強い印象を与えたという。
また、戦後アメリカからの援助物資で小麦が入ってきたのであるが、アメリカの戦略もあってパン食ばかりが推進される状況にも疑問を持っていたようである。米が足りず小麦を食べるというなら、せめて伝統の麺食を広めるべきではないかと考えたようである。

その思いから、安くて、安全で、調理に手間がかからず、保存ができて、おいしいものを作ろうという方向性を持つことになった。この強い方向性が無ければ開発に手間がかかるものより手っ取り早く稼げる事業に目を向けたはずである。

と、持ち上げておいてなんだが、チキンラーメン開発の経緯については異論もある。チキンラーメンがオリジナルの世界初即席麺かどうかには異論があるのだ。

チキンラーメンの製品化は1958年とされている。だが、あのベビースターラーメンで名高いおやつカンパニー(当時松田産業)が先ではないかという説がある。おやつカンパニーのホームページには1949年 麺類製造開始、1955年 味付中華麺発売とある。この辺のいずれかの商品が即席麺とみなせるとしたらチキンラーメンは世界初ではない。ベビースターラーメンはもともと味付中華麺の切れ端を応用したというから、信憑性の高い指摘とはいえる。あれはふやかしたらラーメンになるのではなかろうか。
もちろん製法特許をとったのは安藤氏であるのは間違いないので法的になんら問題はない。

また安藤氏が台湾出身で台湾の伝統的な麺料理にチキンラーメンに似たものがあるのでそれを応用したという指摘もある。若い頃から大阪で事業を展開していたのだからそれはかんぐりすぎかともおもうのだが。

それゆえ婦人の天婦羅を見てアイデアを得たというのは後付けではないかという意見もある。

まぁその異論を最大限入れたとしても、お湯だけで食べられる麺を洗練された形でヒット商品に仕上げた功績がわずかでも曇るものではない。もちろんベビースターラーメンをロングセラーにしたセンスもまた同じく賞賛されるべきだ。

そもそも彼の功績は「世界初」が本質ではないしな。


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チキンラーメンは大ヒットした。
だが、人気商品には追随者が現れるもので、粗製濫造の安物が出回ることとなった。
一旦は特許で類似品を締め出す方向に向かったが、数年で特許を公開した。日本ラーメン工業協会を自ら設立し製法特許を譲渡したということである。おそらく粗悪品が飛び交う無秩序状態ではなく、協会で束ねて優良な企業同士協調・共栄することを狙ったのだと思う。即席麺全体が粗悪なものというイメージになってしまっては困ったのだろう。

それでも価格競争は激しくなり、日清食品は追い詰められていく。
店頭価格で2割3割安い商品が横にならぶ。

日清食品がコスト競争力がなかったとか、コストダウンの努力が無かったとは思えない。当時を直接見ていないから想像になるが、品質面で格段の差があったのではなかろうか。また従業員にもそれなりに還元し、未来のために開発費にも配分していたのではなかろうか。

当時追随する業者は300社を大きく超えていたと見られる。特許関係で警告を受けた業者だけで100社を超え、把握しきれない分を含めれば相当に上るだろう。それが今は淘汰されている。
日本即席食品工業協会(前身は日本ラーメン工業協会)の名簿によれば即席めん製造の会員が39社。この中には系列会社が個別に登録されている例もあるので、実質はもっと少ない。

この名簿を見ると業界トップの日清はもちろん、全国的知名度を誇る企業が並ぶ。
赤いきつねと緑のたぬきの東洋水産
サッポロ一番のサンヨー食品
スーパーカップのエースコック
チャルメラの明星
ペヤングソース焼そばのまるか食品
ハウスのうまかっちゃんは全国規模の知名度とは言いがたいが会社の知名度が抜群だ。

全国規模の知名度はなくとも特色ある、根強いファンがいる企業も名を連ねる。
九州地区で強いマルタイ
東海地区で強い寿がきや
などなどなど

このように現在に残っている理由がわかる麺々、いや面々である。先に触れたおやつカンパニーも名簿に名前を連ねる。私はマルタイの棒ラーメンで作る冷やし中華が好きだね。

最終的には高い品質と新製品開発を継続できる基盤のある企業が残ったわけだ。これが狙いだったと信じたい。

そうは言っても当時即席ラーメンが一般化すればするほど買う側は安ければなんでもいい、品質の差やブランド力、企業活動の正しさなんて関係ないとなるのは道理である。
玉石混交のつらい時期だ。


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そんな時期に彼はカップヌードルの開発に着手する。
これも背水の陣だったと聞く。

チキンラーメンのときとは異なり開発チームがある。彼が直接粉と油にまみれて開発をしたわけではなかろう。
それでも現場に密着し、ときに鼓舞激励しつつ、アイデアを出しつつ陣頭指揮当たったといわれている。

商品の方向性、それを実現する技術ともに全て手探りである。
パッケージから麺、具材まで全てが新しい。

断熱性、耐水性のある容器、密封できる蓋。それを使い捨てできるコスト計算。容器の上から下まで均等に戻る麺、適度に味を含ませた麺。
当時は最新技術だったフリーズドライの具。これには苦労したと聞く。ことに海老を入れたいと彼はこだわり技術者を悩ませたという。だがその商品特性を考えた感覚が後に生きるわけである。やっぱりカップヌードルといえば小海老と卵とあの肉(あの肉としかいいようがない)であろう。
考えてみればあの具はラーメンではないし、あの味付けもラーメンではない。オリジナルだ。

小海老を入れるとなればフリーズドライでも食感と味が悪くならず、色も悪くならないことが求められる。湯戻し後はもちろん、湯戻し前もピンク色の食欲をそそる色合いでなくてはならない。しかも、それを数片入れるとなれば値段も安く、安定した調達が可能でなければならない。そもそもフリーズドライ技術自体がまだまだ手探りだった。
全部決まっていないというのはつらいもので、私ならなんか前提条件として決めてくれというね。海老の種類くらいは決めてくれと。

均等に戻る麺のことはよく紹介されるからご存知の人も多いだろう。
チキンラーメンと同じく揚げ麺なのだが、カップの中で均等に戻るためには上と下で麺の密度を変えるし、形状を工夫してカップの途中に引っかかって浮いている状態にしている。

最終的に成功したからなんとでもいえるが、当時出口の見えない中で開発陣を指揮した彼の心中を思うと格別の思いがある。

愚直に技術を追求しただけではない。小海老や卵のような具が受ける、麺の味付けはこういうのが受けるとセンスを発揮するところが優れた経営者だと思う。追い込まれた状況だと小ぢんまりとしたゴールを目指してしまうものだ。


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ちょっと紹介といいつつ長々書いてしまったが、何がいいと言って食べ物で世界的な影響を及ぼしたというのが痛快だ。そこがいいのである。

日清製品は世界中に広まって、単に売れているだけでなく各地の味を取り入れたご当地ヌードルが世界中にある。
日清だけでなく競合他社の麺も世界に出ている。
海外旅行の手軽なお土産には海外の即席麺が意外に受ける。まずいみやげ物の菓子なんかより現地のスーパーで売っているようなものが面白いのだ。これが見事に現地の食文化と融合している

即席麺というと健康に悪いとか食文化の破壊だといって執拗に批判する人もいる。決して健康食だとか完全食だとか言うのではないが、批判があまりに過ぎるのではなかろうか。
栄養バランスがいいとは言わないが、炭水化物と脂肪、塩分、一部のアミノ酸に偏っているだけの話である。基準内でも長期的な摂取で害が疑われる保存料などは使っていない。甘い清涼飲料水の方がよっぽどたちがわるい。
栄養バランスを責めるなら有名パティシエの作ったスイーツだって同列で批判されねばならん。材料が厳選のナントカであっても脂肪と澱粉と砂糖の塊であることは間違いない。

伝統食文化の破壊という批判は一理ある。
ファストフードや欧米食、大企業の商品というものは、手軽で味が濃くて先進的イメージがあるものが伝統食を駆逐するという構図はあろう。
それが行き過ぎてはいかんとは私も思う。

だがそれを言う構図もまたどうかと思うのだ。
伝統食の破壊で取り上げられるのはいつも経済的に豊かではない人たちである。伝統食「しか」食べられない生活は昔ながらの厳しい生活の上に成り立っているという側面がある。
即席食品や加工食品のおかげでいっとき家事労働から解放されたり、自分たちとは違う世界があると実感したりということはあると思うのだ。
高名な漫画家西原理恵子画伯の作品で、諸外国に取材したものが多々ある。その中で、貧しく子沢山の家庭での食事風景がある。場所は多分スラム街に近いのだろう。
おかずは大鍋で作った即席麺のみ。味の濃い即席麺をおかずにご飯を食べる大家族。笑顔。そこに貧しいながら幸せはなかったのか。これを不健全だ、田舎に戻って伝統食を食えと批判できるだろうか。

だいたい批判する側がおしゃれで安全な場所から物を言っているのではなかろうか。マクロビオテックだかベジタリアンだか知らんがおしゃれな店でおしゃれなキッチンで、か?
伝統食を言うなら生活も昔に戻せ。干物と漬物だ。魚の干物はたまのご馳走だ。味噌を作れ。野菜で乾物を作れ。野菜の旬には旬の野菜「だけ」が毎日のおかずだ。キュウリが取れるときには毎日毎食キュウリなんだよ。
昼に農作業をして夜には縄をない、筵を編み、わらじを作れ。薪割をしろ。土間で牛馬を飼え。電気を使うな。共同井戸に水汲みに行け。

こうした地味で、生活=労働という日常を変えたのが消費社会だし、その一部欠けるところを補うのが即席食品や加工食品であったはずだ。どっぷりつかってもいかんが、適度に活用することはいいのではなかろうか。感謝してもいいのではなかろうか。


おもわず話が脱線した。話を戻すと、こうして食べ物で世界的成果を残したことを素敵だと思うのだ。
自動車とか電気製品で世界にというのもすばらしいのだが、食べ物でというところがほっとするではないか。


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安藤氏は長寿であった。亡くなったのは2007年96歳のことだった。
亡くなる直前までお元気で毎日のチキンラーメンを欠かさなかったという。
亡くなったのは年明けすぐのことで、直前には年明けの訓示を行い、雑煮代わりの餅を入れたチキンラーメンを食べたそうだ。元気なじいちゃん。

実質的な経営者としては1985年に次男の宏基氏が社長に就任し会長職に着いたときに一線を離れたと考えるべきかもしれない。すくなくとも、2001年には名目上も経営から離れ、名誉職に退いた。
それでも社員と交流し日清食品に寄り添うような晩年だったようだ。

様々なエピソードを見るに経営者としては厳しい人だったようでもある。それでも社員に愛されていた人だったのだなと思うのである。

没後まだ数年、生誕100年を記念したキャンペインは気合が入っていたと思うのだ。創業者だから仕方なくという感じではなかったと思うのだ。ここに愛された経営者だったと感じる。
期間限定で発売されたカップ麺「百福」を買って食べてみたのだ。すごい、の一言に尽きる。しゃっきりとして歯ごたえのある麺、澄んで上品なスープ。並のラーメン屋はチキンラーメンで顔洗って出直して来いというレベルだったと思う。
安藤氏の名を冠した商品、しかも生誕100年記念に出す。そこにこめられた社員の気合が感じられるようなものであった。


===
蛇足もいいところだが即席麺自体に触れてみたい。

生活の中で即席麺の位置づけはなかなか難しい。おいしく食べようと思うと手軽じゃなくなるし、そのままだと若干物足りない。

まず袋麺。
袋麺を食べるシーンとはなんぞや。気軽さを追求するとカップ麺に比べ鍋を持ち出すのはそれなりに手間だ。しかも具がない。具を用意するのも手間であって、それなら普通におかずを作ってご飯を食べるのと大差ない。
ちょっと野菜や肉、卵など用意するなら、それで炒め物を作ってご飯を食べたほうが安い。応用も利く。
そこをあえて袋麺というのはやっぱりおいしさがないといかん。

ここは即席麺という「間に合わせ」のイメージを捨てて、米とかパスタとかうどんそばの乾麺とか、主食の一種として捉え、きちんと料理した方がいいように思う。つゆがついているだけお手軽だけどね。

やっぱり袋麺には野菜を添えたい。彩り豊かにとは言わない。せめてキャベツかもやしは入れたい。一方で麺を茹でた湯は一旦切って、新たな湯でスープを溶きたい。
そうなると、まず野菜を刻む。そして鍋一号で茹でる。同時に鍋二号で麺も茹でる。鍋一号にスープを入れる。鍋二号で茹で上がった麺を湯切りして鍋一号入れる。貧のイメージもあるラーメンもコンロ二口を要するのである。

これが最低ラインであろう。もっと手をかけていい。
肉野菜が具として乗るのは常識。チーズを乗せて焦がしてというあたりに可能性を感じる。トマトソースも合わせてみたい。


鍋を使わない元祖チキンラーメンも難しいのだ。まずCMのような卵の入ったチキンラーメンは難しい。あれは室温に戻した卵が必要だ。小腹が空いたなと思って室温に戻した卵がぱっと用意できますか? いまやたいていは冷蔵庫に入れているでしょうに。
かといって卵を熱湯につけてしまえばゆで卵になってしまう。時間をかけて準備するものでもないように思うし。

この場合、チキンラーメンを温めた丼に入れ、卵を割りいれ、熱湯を注いだら、蓋をして電子レンジに入れていただきたい。約一分。これで卵が完全に生、つゆが生ぬるくなる問題は解決する。


カップ麺となるとさらに難しい。手抜きをしたいからカップ麺なのである。だがカップ麺だけでは寂しい。具が欲しい、野菜と肉が欲しい。バリエーションも欲しい。だがその工夫をするくらいならちゃんとした料理を作るよ。さてどうする。

カップ麺の友はキャベツである。
まず湯を沸かす。ヤカンではなくミルクパンを使う。カップ麺は商品によって湯の量が違う。カップの形状・サイズによって400〜600mlになる。ほんの気持ち少なめに沸かすのがコツである。
湯が沸騰する間に冷蔵庫からキャベツを取り出す。葉を数枚ちぎって洗う。手で細かくちぎる。それを沸騰したミルクパンに入れる。
再度沸騰して1〜2分煮た物を全てカップ麺に注ぐ。キャベツから出た水分で水の分量がぴったりになっているとベスト。さらにキャベツがちょうどカップ麺の容器に納まるようになっていれば完璧。

これで不足する野菜を若干でも補える。キャベツは湯がくとかさが減るのでたっぷり入れていい。容器に納まらなかったらミルクパンに入れたままで「おかず」にするのだ。ダメ人間。


野菜不足ではなく蛋白質不足を懸念する向きもあろう。
この場合は高野豆腐をお勧めしたい。戻さずにそのまま使える高野豆腐がある。これをカップ麺の蓋と麺の間に仕込んでおくのだ。その上から湯をかける。
縦長のカップの場合手で割ったほうがいい。粉末スープが袋に入っているなら、高野豆腐の上からかけると味が染みていい。それをかき混ぜつつ味を染ませつつ食べる。ダメ人間。

小腹が減ったときに食べたいとなったらこのくらい手軽じゃないとね。ダメ人間としてはそう思う。

お湯さえあれば温かい汁と麺が食べられる。すごい発明だと思う。
毎日食べるものではないだろうけど、寒いとき疲れたとき、さっと食べられたらどんなに幸せだろう。安藤さん、感謝!
posted by Mozzo at 09:41| Comment(0) | この人が好きだ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月11日

この人が好きだ:タモリ

芸能界で芸能人としてもっとも幸せな人は誰だろう。
幸せの定義があいまいだからどうとでもいえるが、私はタモリさんを推す。

言うまでもなく芸能界での成功者、大御所である。

売れていて経済的にも成功しているだけでは芸能人としては幸せとは限らない。
売れなくとも自分のやりたいことをと考える人もいよう。ゆえに売れない人もいればそれを曲げて売れている人もいるはずだ。曲げたのに売れていない人が一番多いだろうけど。
それでも、芸能人は人にアピールすることが存在理由であって、やりたい芸で売れたら嫌だという人はそうはいまい。自分のやりたいことをやってそれが受け入れられて売れているのが幸せだろう。

そう考えるとタモリさんはかなり幸せなんではなかろうかと思うのである。
テレビで見る彼は半分以上は自分が興味がもててやりたいことをやりたいようにやっている。興味がもてないこと、つまらないことはさらっと流す。それがあからさまでしかも嫌味でないところがいい。

中でもタモリ倶楽部(テレビ朝日系)のタモリさんがいい。
毎回妙なテーマを取り上げる流浪の番組である。
テーマによって彼の反応は全然違う。
大好きな鉄道や地形、船舶がテーマだと目が輝いて子供に戻る。得意の料理だと集中して周りが見えない。
そして薀蓄を語る。
自分が知らないテーマで面白いと食いつく。面白くないと思うと流す、ちゃかす。この変化が面白い。
好きなテーマに食いついたタモリさんはまさに子供で、トークをつなぐ共演者に「黙って見ろ!」という。カメラに背を向ける。それじゃテレビ番組として成り立たないのだが、あれは楽しむタモリさんを見る番組だからそれでいいのだ。

笑っていいともだって、別にきちんと進行しようとか、セオリーに乗っ取って笑いを取ろうとか思っていないように見える。自分が面白いと思うと進行を無視してわかりにくい形で共演者に絡んだりする。見ていてもしつこいなーとか、人の笑いをつぶしにかかるなよと思う。だけど周りはプロのアナウンサーとタレントだからどうにでもなる。それでいいのだ。そこが番組の魅力ということで。


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そんな緩い感じで一線を走るタモリさん。レギュラー番組はゆるぎなく人気を確保している。あの笑っていいともは視聴率が下がっているといわれているがそれは以前と比べての話であって人気番組であることは変わりない。

忙しいだろうなと思う。
平日の昼は毎日生放送。生放送は一時間だが、準備や放送後の録画収録を含めれば拘束は数時間に及ぶだろう。さらに他のレギュラー番組の収録。そして、彼のタレントとしての価値を高めるためにも趣味の世界も深めていかねばなるまい。なんでも薀蓄がさっと出てくるには日ごろの活動が欠かせまい。好きでやっているにしても。
これが一年中祝日もなしで続くとおもうと時間だけ考えても会社員より大変だ。
なんでもほとんど遠距離の旅行もしたことがないという。

東京に捕らえられた男、なのかも知れない。

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タモリさんはいつも同じようにいるから変わらなく見えるが、なんとすでに60代も半ば。びっくり。笑っていいともがギネス記録。そりゃ向こうもこっちも年をとるわけだ。

いい年したおじさんというか普通ならそろそろじいちゃんではないか。そう思うと彼の茶目っ気振りがことさらにいい。
もう孫も大きくなったのに、イタズラで家族を驚かせたり妙なものを買ってきて怒られたり、そんなじいちゃん。
親戚に80歳くらいの叔母さんがいて「ホントにあの子は子供のときから変わんないよ。孫もいるってのに」と苦笑されるそんなじいちゃん。60代でもあの子と小僧扱いされる始末、そんなじいちゃん。そんな叔母さんの眼を盗んでつまみ食いして怒られる、そんなじいちゃん。
親戚の子供に「明日できることは今日やるな」とか「やる気のあるものは去れ」とかわけのわからないことを語るじいちゃん。
明日は町内会の会合があるよと口すっぱく言っておいたのに、大好きな鉄道を見に寝台車にのって出かけてしまったじいちゃん。会合の時刻には九州です。

タモリさんならこんな風になるんではないか。
いいなぁこんなじいちゃん。親戚にいたら最高だ。
わたしもこんな風に年をとりたい。
posted by Mozzo at 16:30| Comment(0) | この人が好きだ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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