2015年08月16日

冷た〜〜いスープ

なにをいまさらという感じだがビシソワーズを初めて美味しいと思ったこの夏なのである。
ビシソワーズ(ヴィシソワーズだろとかいう愚劣な指摘は受け付けません)とはジャガイモを主材料にした冷たいスープである。
もともと日本にはなかったものであるが、ずっと以前に「おされ〜」な食べ物として入ってきた。その時食べたような気がするが、何の感慨もなかった。それ以来食べることもなく。

で、なんで今更なのであるが、なにもレストランできっちり食べたわけではい。一部コンビニなどでチルドの商品が売られているのを目にしたのがきっかけである。チルド商品はコーヒーやら乳飲料やらいろいろあるが、缶やペットボトルの商品に比べて日持ちしない代わりに素材が生きている感じがするのでその場で飲むならいいと思っている。

しかしだ、冷たいスープだぁ!? と思っていた。気持ち悪い。味噌汁もかけそばの汁もラーメンの汁もアツアツだからうまい。夏だろうがアツアツに決まっている。冷めていたらまずいでしょうにと思ったのである。
ではざるそばのつけ汁は何なんだ、ぶっかけうどんはどうなんだと理詰めで来られたらなるほど苦しい。だが、ジャガイモにブイヨンに、そこまではいいが生クリームだぁ!? 牛乳といるレシピもある。お前は料理なのかデザートなのか、いーーーーーっとなるので無視し続けていた。

で、その私がなぜ今年ビシソワーズを手に取ったか。
暑さがこたえている。以前は暑かろうが食欲は落ちなかったものだ。歳なんだね。欲はあるけれど胃が受け付けない。
そこに冷たいスープ。試してみようではないかと思ったのである。

コンビニの冷蔵ケースにプラスティックのカップ、アルミの蓋で売られている。買い求めれば蓋にプラスティックのストローをぐさりと差し込んで飲めとある。
まろやかなジャガイモの香りと風味、コンソメの旨味、絶妙な塩味、クリームなのか牛乳なのか知らんが乳製品のコク。引き締める香辛料。これはうまい。
食べず嫌いの数年間がもったいないと思うくらい。もっといいレストランで食べたらよりうまいだろうが、コンビニのでも充分にうまい。

考えてみれば大変に優れた食品だ。
暑ければ食欲は落ちる。胃の具合も悪くなる。そうではない人はわしわしと食べていただければいいが、もはや固形物をとる気にならないことだってある。
だからといって何も取らねば衰弱するし、下手をすれば夏バテで死ぬ人だっているのだ。
無理して食べたところで消化吸収する能力すら落ちているかもしれない。

塩分に糖質、タンパク質、脂質、さらにアミノ酸も含む。水分補給にもなる。ジャガイモならビタミンCも期待できる。それを無理なくすっと摂れるのであるから夏の食事にぴったりだ。
飲んでみるとじんわり沁みるような味わい。これは体が欲してるのであろう。

ビシソワーズの商品ラインナップをたどると、姉妹商品がこれまたうまそうである。
カボチャやコーンてのは定番と言っていい。なるほど定番でそれぞれの風味がいい。というよりカボチャやコーンがあってのジャガイモだろう。
えんどう豆なんてのもある。これがまた風味がプンプンとしていい。
これ、もっといろんな野菜でできるだろうなと思う。小松菜とかトマトとかアスパラとか大根とか。パクチー味もほしいな。

暑いのに健康重視で苦痛の食事をするなんて人生の意味がない。
美味しく健康に(たぶん)いいなら安直かもしれぬが液体飯もいいではないか。
いや弊害もあるのかもしれないが食べないよりいいはずだ。快楽と健康のはざまに。
posted by Mozzo at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月20日

お前はいったい何を私に食べさせたいのだ by 海原雄山

うどんが好きだ餅が好きだコメが好きだと、このシリーズでは炭水化物に傾倒する好みを披露してきた。
その時の気持ちで食べたい炭水化物は変わるのだが、やっぱり米、白飯は安定して上位にランクインだ。無性に蕎麦ということもあるのだけど。

ご飯がおいしいことを売りにしている飲食店があるとつい足を向けてしまう。
曰く、有名銘柄米を使っています、いや契約農家から仕入れています、水は京都の湧き水です、いや高度処理したクラスターがイオンのどうのこうのの水ですなど材料にこだわる方向がある。
また、羽釜で炊いてます、土鍋で炊いてます、お櫃に入れますなどなど、調理法にこだわる方向もある。
みなうまそうである。事実うまい。

先日もこだわりの米・お櫃に入れて提供というのが売りの店を見つけてつい入ってしまった。
お櫃にご飯が入り、おかずが脇に付くか、ご飯の上に盛り付けられるかである。これで安くて千円から豪華なおかずだと二千円程度というところか。
むろん白飯に文句はない。上出来であった。

これが安いか高いかはわからぬが、真に客が食べたいものを出しているのかという疑問があった。
簡単に言えば、おかずが豪勢すぎるのである。
やれマグロだエビだと高級海鮮やらナントカ地鶏だとかとセットになっている。いちばん地味なおかずでも鰈の煮つけであった。
もちろんこういう献立も必要だ。美味しいおかずとセットで食べるおいしいご飯。これは当然美味しい食事。それなりにバランスもとれている。正しい。

だが、時に白飯に煩悩したいこともあるのだ。
だいたい、たっぷりのおかずではそれだけで満腹になってしまい、白飯はそれほど食べられないではないか。白飯をたっぷり食べたいのである。若い人ならいざ知らず、この定食のおかずを食べきったらご飯は一口でいい。中高年はそんなもんだ。
塩の効いたたらこ一片、焼鮭一片、海苔の佃煮、なめたけ、イカの塩辛、鰹の塩辛などなど。味が濃いものご飯に合うものを小皿にちょいとあればよい。それで白飯をたっぷりと食べたいのだ。
なんと「追加トッピング」としてそれらがメニュにある。なら白飯と「追加トッピングのみ」が私の望む今夜の食事だ。
たまにはそういう食事もしたいではないか。そんな煩悩を刺激するうまい白飯を出しておいてたっぷりのおかずを食わねばいかんというのは矛盾ではないか。
いや、おかずを食えと強制されているわけではないが、料理を残すという選択肢は私の中にない。

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店側の事情は分かるのである。客単価である。
これが持ち帰り店ならちがう。商品ごとに価格が高かろうが安かろうが粗利がそれなりに確保できていれば問題ない。白飯だけの客も歓迎だ。店員が注文を待っているのにうーんと悩んでいる客が迷惑だ。
しかし、外食店の場合客単価を上げねばならない。座席というものがあって、どんなメニュを頼もうとも一定時間占有するし、座席の数も上限があるのだ。固定費みたいなもので、粗利を上げるには客単価を上げねばならない。よって豪華な方向に傾いてしまう。むろん豪華すぎれば躊躇する客も多いのでそのさじ加減が企業の腕だ。

しかしだ。その店の売りである白飯を最高においしく食べたいと言っている客が望むものが食べられないというのはどうにも納得いかない。

これが全くの個人経営の店であれば、常連となって日常的には高いメニュを食べて、そのうえで「今日はわがまま言わせて」は通用するかもしれない。
また、企業経営の店でも柔軟な店であれば「煮魚定食の煮魚抜き、たらこ佃煮トッピング追加」なんてことができるかもしれない。煮魚とトッピング交換で定食と同じ値段ね、で通ればラッキー。煮魚定食+トッピングでより高い可能性あり。

ま、客の側からごり押しすれば食べられないものではなかろう。もちろん少なくとも安めのメニュと同じ値段は払う。
しかし、シンプルなおかずで白米をたっぷり食べるというスタイルを店の側から提案しないのはどうかと思う。
むろんちょっぴりのたらこやら佃煮やらで海鮮やら煮魚やらと同じ値段を取るのは体裁上むつかしいのかもしれない。
だがやればいいと思う。煮魚定食と同じ値段で。大きな煮魚ではなく小さな珍味の小鉢だけですが、これがご飯を楽しむ最高のプランなんです。と。こういうのお好きでしょと。
もう、飲食店は食材や調理の原価率で値段を決めるのをやめればいい。献立の魅力・鮮烈さで値段を決めればいいと思う。居酒屋で最高に高い料理は塩むすびでもいい。それを食べる金がない奴はマグロのトロを食べていなさいと。
考えてみればテキトーに盛り付けられたマグロのトロを自分で用意しようとするなら、スーパーに行けば買える(ランクというものはあるでしょうがね)。最高のコメと絶妙の炊き具合の白飯で、塩加減完璧の塩むすび、きりりと冷えた吟醸酒と一緒に。これを自分で用意するなら、時給も考えるとスーパーのマグロのトロを超えるかもよ。
たとえば塩むすび1〜2個分の白飯を炊くわけにはいくまい。最近の炊飯器は優れていて少ない米もうまく炊くというが、やはり美味しく炊ける量というものがある。
食材の値段やら手間やらは別にして、これを提供できるのはうちの店だけですぜ、それなりの代金払ってもらいますぜで道理は通っているように思う。

その点において、蕎麦屋の盛り、ざる、蒸篭といったシンプルなメニュを訴求するというのは理想である。店によっては素材の単価と比して割高メニュだ。これでずっとやってきているのだから白飯にできないはずがない。

豚カツをおかずに豚カツ定食と、梅干しにイカの塩辛をおかずに梅イカ(うめーか!?←ちょっとうまいダジャレを言ったつもり)定食と同じ値段でいいのである。
それはおかしいという人は豚カツ定食を食べればいいのである。

思えば客単価とか回転率とか市場占有率とか商売にはいろんな指標がある。理解できないようなむつかしい指標もある。
それは正しいんだろうけどもっと客がほしがっているものを出すという原点に立ち返ってみたらどうかとおもう。

とりあえず、炊き立てご飯に卵納豆ネギたっぷりが牛丼屋でしか食べられないというのは間違っていると思うのである豚カツ定食800円、納豆定食1000円でも私は納豆定食を選ぶね。

ちなみに吉野家では近年単品で納豆が頼めるようになった。時間帯は問わない。
顔なじみになったうえで、単品ごはんと納豆、トッピングネギ玉、トン汁、漬物で並の単価を大きく上回ればこういうわがままも許されるだろう。やったことがある。私はここに冷酒を追加するので単価はその辺の一般客とは違うよ!←自慢することか。

posted by Mozzo at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月28日

うまい端っこ

あまり偉そうに言うことではないが食べ物の端っこに注目してしまう。
まぁそれを言う人は多い。

羊羹の端っこはちょっと砂糖が感じられてうまいとか、カステラの切り落としがうまいとか言うではないか。カップアイスの蓋を舐めたいというのも端っこではないかもしれないが同じグループだ(グループか?)。
ある程度長さのある食品には端っこがある。長手はこっちと思えるなら端っこはあるのだ。ここのファンは多いと思うのだ。

巻き寿司の端っこもうまい。寿司飯がきゅっと詰まって具と融合している中側が巻き寿司の本来のうまさなんだろうが、端っこは寿司飯が少し緩く具がなかったりはみ出したりしている。ことにサラダ巻きなんてのはレタスやらカニカマがはみ出して、そう「花のようにはみ出して」ことさらうまい。
寿司屋では巻物を一本頼むとこの部分をことさらに上に向けて「どうだ」と岩版ばかりの盛り付けにしてくれるところもある。これがいい。
逆に端っこが出てこないと「捨てているのか」とか「超長い海苔巻から切り出しているのか」と思うくらいだ。

豚カツも端っこがうまい。
最近は脂身が胃に堪えるので食べるとしてもヒレカツ、というか揚げ物は敬遠しがちなのであるが、豚カツ本来のうまさという意味では赤身と脂身が調和したロースかつだろう。
適度に脂身が縁取る豚カツで一番うまいのは中央部分と言われている。脂身と赤身のバランスが取れ筋も少なくジューシーで。なるほど王道のうまさである。
だが、端っこもうまいのである。場合によって(肉の形や切り方)脂身だけだったり筋だけだったりする。だがカリッとした衣がついて香ばしく、この部分がなんともうまい。ここだけまとめて出されると怒るかもしれないが、いいアクセントなのである。

前に書いたけれど食パンも端っこがうまい。つまり耳だ。
内側はふわふわであるけれど香りと食べ応えに欠ける。耳は香ばしく噛み心地がある。食パンを1本(3斤)焼いて得られる両側の全面耳は私にとってまさにとっておきの「いいところ」。マグロのトロだ(個人的には脂っこいから嫌いで赤身が好き。生産状況から考えてもはやマグロを食べていいとは思わないので食べないが、いいところという意味でマグロのトロって言うよね、ということ)。
両側の全面耳でサンドイッチを作りたい。と思っていたらニフティのデイリーポータルZ(毎日見てる)で馬場さんがやっておられた。スライスしないパンを一本買えば両端だけでなく、側面も同じく全面耳になるのだなと感心したがなんかうらやましくて悔しいのでリンクは載せない。見たい人は検索するように。
脱線するが馬場さんは食べ物の生地が多く実食する場面を写真に撮って掲載しているがいつも表情と背景が同じだ。(「美味しい」+「そうでもない」+「まずい」)×(「飲み物」+「食べ物」)で6枚写真を撮っておければこの先ずっと使いまわせるのにと思った。ごめんね。でもそこが面白いのである。

素麺を作る時に出る素麺節というのもある。
素麺を作る時には伸ばした生地を二本の棒に8の字に掛け、さらに伸ばして干すのである。すると棒にかかった部分が曲がり太くなる。本体の麺を切りそろえるとかんざしというかU型というか、そういうきれっぱしが残る。これも形以外は素麺の生地と同じで美味しく食べられる。素麺節とかかんざしと呼んでまとめて売られていることがある。汁物に入れると美味しい。
太さが均一の素麺に比べると細いところ太いところが入り混じりこの食感の差がいいのである。しこしことにょろにょろの共演である。

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私は工場で製品が作られるドキュメンタリー映像を見るのが好きである。
自動機械が次々に製品を作っていくのが楽しい。
自動車や電気製品の工場も見ていて楽しいのだが、これが食べ物となるとより楽しい。自分でも作れるものを機械がより早く正確に大量に作るというところに親しみを感じるのである。

そして工場での生産は端っこがいろいろとあるのである。
なんなら製品本体より端っこが気になる。

たとえばパックの餅である。
パックの餅の製造方法についてはかつて書いた。
http://mozzo-expresso.seesaa.net/article/411778667.html
搗きたての餅を冷間圧延して平たい餠にしてカットするわけだが、その時切れ端がでる。細い餠。具たくさんの味噌汁の煮え端に入れたら雑煮とはまた違ううまさではなかろうか。うまそうだ。
果たしてその切れ端はどこに行くのか。ドキュメンタリー番組はそこをスルーしてなんにも説明しない。気になって仕方ない。

パスタの工場なんてのも似た部分がある。
スパゲティの製造では生地をダイス(固い金属に穴をあけた工具で、材料を絞り出したり、針金を細くしたりというもの)から線状に押し出す。それを一定の長さ(スパゲティ4本分+α)に切り、物干しざおのような棒に掛けて干す。
ドキュメンタリーを見ていたら二段階で端っこが発生することが分かった。

まず第一段階はこの棒に生地を掛けた直後である。どうしてもばらつきがあるもので、あまり長く垂れ下がってしまうとその後の工程に問題がある。一定の長さに切りそろえる。バリカンのお化けのような機械がばしばしと切りそろえていく。
この切り捨てられた生地はどこに行くのかと思ったら、ドキュメンタリーでは元のラインに戻されまた生地として再利用されるという。こういうのを聞くとホッとする。

次の端っこ発生は乾燥後である。パスタ4本分+αの長さが棒に垂れ下っているわけだ。棒に掛けた部分は先の素麺節のようにU字型に残る。長く伸びたU字型から4本のスパゲティを切り出してみれば、U字型部分と先端のまっすぐな部分が残る。8の字に棒に掛ける素麺とは違い、下側はまっすぐな切れ端になるためだ。
はてさて、乾いてしまえば生地にも戻せず、どのように利用されているのだろうか。気になる。私が見ていたドキュメンタリーではそこはスルーしていた。そこが見たいのに。完成したスパゲティを袋に詰めるところなんてどうでもいいのよ。
「スパゲティ節」として袋詰めにして売られていたらうれしいのに。なにかグラタン風にするとうまいような気がする。とはいえ一定太さにしてから棒に掛けるから素麺節のように太さの差が出ない。一定太さで短いパスタがほしければ普通に売られているスパゲティを折ればいいわけで。
工場の社員食堂で献立に使われているとか有効利用されていたらうれしい。
このご時世、単純にごみということはあるまいが、人間が食べるものの端っこ、資料というのも悲しい。また家畜視点でも人間が食べるものを安直に家畜の飼料にすることは望ましくない。栄養バランスってものがあるので。

その他平たい生地からパイを切り出せば残った生地が気になる。刻まれた玉ねぎがベルトコンベアで運ばれていけば、脇にこぼれた玉ねぎが気になる。マグロの解体風景を見ればざっくり切り落とされた頭部が気になる。マグロの頭部は八の字と言われる肉(人間ならクビを支える筋肉か)やら目玉やら、うまい部分があるのだ。捨てられるのか利用されるのか。番組はトロだ赤身だとそちらばかり着目していて頭は忘れ去っているのだが。

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なぜ端っこが気になるのかはわからない。パンの耳やマグロの頭のように純粋にうまいと思うものがある。私は甘いものを食べないので羊羹やカステラの端っこがうまいというのはわからないのだが、それでも端っこにこだわるのは感覚的にわかる。

たぶん出された料理が残せないという気持ちに通底するものがあるのだろう。
外食するとき量を見誤って食べきれないことがある。若干気持ち悪くなりそうでも食べきる。残せばごみ、食べればウンコ。大した差はないという考えもあろうが、これは本能的なこだわりなのだ。
自宅でも目論見が外れて用意した食材や料理を傷ませ捨てざるを得ないこともある。大変悲しい。心の中でごめんなさいと唱えて捨てる。
ま、わるいこっちゃない。これからも端っこにこだわるのだろう。本末転倒に真ん中が腐って捨てる羽目にならない程度にこだわりたい。
posted by Mozzo at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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