2014年09月02日

味が濃いのは苦手なのである

大阪は食い倒れの街というが、単に住んでいる人が食べることに情熱と金を使うため倒れてしまうと言っているだけで、別に他の地域と比べて特においしいわけではないのではなかろうか。私はそう思っている。
実際の話、京の着倒れ大阪の食い倒れという言葉は、傾倒し金を使いすぎて破綻するという意味で、京都のファッションが優れているとか大阪の食べ物が優れているという直接の意味はない。ただ、情熱とお金をかければ洗練されていくのが道理ではある。
私など到底いけないような高級店なら違うのだろうが、たこ焼きいか焼きお好み焼き餃子などなど、庶民的で名物とされているものが押しなべて口に合わない。

あくまで私の好みに合わないと言っているだけで大阪のものがおいしいという人をけなす意図はない。だが、大阪が食都だグルメだと持ち上げるばかりで、なかにはこういう人もいるのだと知ってほしいだけなのだ。

問題は味が濃すぎるのである。いわゆる粉ものにはソースとマヨネーズたっぷりである。さらに粉ものの粉(生地)は単に小麦粉を水で溶いたものではない。出汁やらなんやら入っている。
餃子も揚げ物も事情は同じだ。餃子の餡や揚げ物の衣には濃い味が付き、そこにソースなりたれなりをだばだばとつける。

小麦粉と肉や魚、野菜を焼いたものであるから、うまく味付けすれば美味しいはずだ。根本的にダメだというわけじゃない。
少なくとも私はここで例に挙げた料理には何もつけないで食べる(大阪では)。本体だけで味が濃いからだ。ある時など何もつけないたこ焼きですら濃くてくどい。幸い刻み葱をたっぷりとトッピングしてくれる(有料だけど)店だったので追加して薄めて食べた。

細かく言うとなにがいかんのか。

まず塩分が多すぎる。塩辛い。お好み焼きで白飯を食べるというからそれならまだしもだが、たこ焼きではご飯を食べないというではないか。なのに同じくソースたっぷりだ。あり得ない。

次に油が強すぎる。マヨネーズがいかん。
もともと揚げたりたっぷり油を敷いて調理するものにマヨネーズはアウトだ。マヨネーズが決して悪いものとは思わないが、材料の油も卵の黄身も脂肪分が強い。適度な油はコクを出すがやりすぎはいかん。

また、旨みが強すぎる。これはソースやマヨネーズを使わなくても解決しない。
旨みが強いならいいではないかと思われるかもしれないが、物事には限度というものがある。化学調味料なら当然過剰になりやすいし、天然の調味料(昆布や鰹節)も使いすぎればくどい。素材である野菜や魚、肉にも旨みはあるのだから、それを補う適量でなければならんと思う。

こうした濃い味に慣れているからなのか、大阪では名物ではない普通の料理も味が濃いし、食べる側もソースやしょうゆをどばどばとかけているように見える。私が観察した範囲のことではあるが、カレーライスにソースやしょうゆをどばどばと賭ける。信じられないし、作った人に失礼だ。

とはいえ、これは大阪だけに限ったことでもない。

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外出時はもちろん、自宅できちんと料理できないときには外食や出来合いの弁当、総菜、加工食品に頼ることは多々ある。
やはり味が濃い。年々濃くなっているように感じる。

先日はちょっとさっぱりしたものも付けたいと思って、パック入りの胡瓜と茄子の浅漬けなるものを買った。つけ汁に浸かって大葉も添えられていい感じだった。
ところが食べてびっくり。
ひどく塩辛いし、化学調味料の使い過ぎは明らかである。よく言うように口の中がびりびりとしびれるようだ。砂糖類も使っている。
到底漬物として直接食べるものではない。細かく刻んでチャーハンの味付けにつかうとかそういうものなのではなかろうか。

スーパーやコンビニで売られている甘辛味の惣菜や弁当などはもう端から諦めているのでここでは取り上げない。

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ま、平均よりも薄味だと自覚のある私が言うことなので割り引いて読んでもらっていいのだが、世間全般が味の濃い方向に向かっているのではないかということを今回言いたい。よって今回はうまいものというよりまずいものの話。

塩、旨み、砂糖、油脂、これらが行き過ぎていないか。
一方で、酸味、渋味、苦味はどんどん減っている。適切ならば味を整え個性を出すものなのに。

たとえばしゃぶしゃぶである。
そもそも肉の脂をさっぱり落として食べる料理のはずだ。
ところが、昨今ではしゃぶしゃぶで使うのはポン酢よりもゴマダレらしい。もう一度油を足してどうする。またこのゴマダレなるものが塩辛く甘ったるい。たいてい化学調味料も入っているようだ。肉の旨みで食べるものなのだから化学調味料はいらんだろうと思うのだが。

調味料だけでなく素材もそうだ。
特に脂にこだわる。
高級なしゃぶしゃぶを食べに行けばさしの入った高級肉を売りにする。逆に安い店に行けば脂の多いバラ肉が出されることが多い。脂だ。赤身じゃダメなのか。
というか、脂を落としたいからしゃぶしゃぶなんでしょうに。筋があるような固い赤身も筋に逆らって薄く切れば柔らかく食べられる。そういう料理ではないのか。

魚だってそうだ。とにかく脂がのっているかどうかを気にする。寿司屋に行けばトロだ大トロだとうるさい。サーモンも脂ギトギトだ。あんなものは脂の塊であってなぜと思うのだが人気なのである。私がゆがんでいるのか。鮪なら赤身、それよりさっぱりとした白身の魚が食べたい。

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持ち帰り料理や宅配料理を含めた外食産業は過当競争に感じる。売り上げも利益も達成するのは厳しい。客数が増えねばならず、かといって際限もなくいいものを出せるわけでもない。
客の側も安く安くより安く、しかしがっつりと食べたいという動きに見える。
最近は景気の上向き期待もあって、高額商品もよく動いているようだが、それも「この値段を出せばより美味しくがっつり」となっているだけで、外食産業への圧力は変わらないようにもみえる。

限られた食材で満足感を与えるにはどうしたらいいか。それが濃い味である。
甘く、塩辛く、油が濃くて、旨みも濃い。酸味も苦味も理解できないから控える。
例えていうなら白飯を大量のバターで炒めて砂糖醤油を絡め化学調味料をぱっと振ればなんとなく食べた気になるチャーハンになっているのではないか。
安直ではない方法で調理するなら、複数の材料を用意し、丁寧な下ごしらえをし、絶妙の味付けをせねばなるまい。砂糖や油を使うとテキトーでもなんとなくできてしまう、とは著名なパティシエ弓田氏のご意見(砂糖もみりんも使わない料理を提案されている。砂糖はお菓子でねということか)。

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「そりゃ、正しく味付けされたまっとうな料理がいいに決まっているけれど、お金のことを考えれば仕方ない。お金があるときにはいいものたべるよ」と思うかもしれない。
だが、それで大きなものを失っているかもしれない。
味覚は慣れてしまう面がある。濃い味に慣れれば薄い味で満足できなくなる。薄い味に慣れれば濃い味は苦痛になる。

濃い味に慣れたら濃い味生活をすればいいのか。ちがうと思う。

濃い味付けということは相対的に薄いかすかな味を感じなくなるということだ。
白飯だけ食べれば淡い。だが、そこにおいしさを感じることができるか、単なる無味の塊なのか。
焼いた茄子、ゆでたジャガイモ、うどん、そば、豆腐、何も味をつけなくともそこには味があるのだが、濃い味に慣れてしまえば感じなくなる。それは不幸なことではなかろうか。この微妙な味わいを捨てる代償にソースびたびた、マヨネーズでろでろ、脂こてこて、砂糖ねっちょり(←わざと悪く言っているが。。。)の快感を得るのか。
もちろん味覚は個人の自由でありああしろこうしろと言えるものではない。ただもったいないなと思うだけである。

ただ、個人の自由と言っていると社会全体がどんどんそっちへ行ってしまうことは危惧している。みんなが好むから先に挙げた大阪の例でも味が濃くなってしまうわけだ。
しかも、そうした環境で育った子供は濃い味を好むだろう。それはいいのか。好みの問題はともかくとして高血圧や肥満を招くような食生活ならば虐待である。

かのマクドナルドは「子供にマクドナルドの味を刷り込む」ことがCRM戦略だと公言してはばからない。顧客を囲い込むために子供にアプローチさせ味を覚えさせるという。
倫理的にそれがいいのかどうかは別として、子供のころからの習慣が影響を及ぼすのは明らかである。

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「では濃い味で育った私はもうだめなのか」と悲観する必要はない。
自分に意識があれば食習慣はリセットすることができると思う。

私は現在薄味志向であるが、子供のころは濃い味の環境で育った。
だが、独立してから薄味志向に転換した。

まず、自分で料理を始めたことがいいのだと思う。
しかも、レシピ本に頼るのではなくテキトー。自分で素材を決め、自分で味付けを決める。レシピ本通りだと恐るべき量の砂糖を使うことにびっくりできる。これは違うのではないか、と味付けしては味見するというサイクルで味覚をリセットできたと思う。

もう一つは思い込み。薄味で素材の味が分かる人間になりたいではないか。それを気取りたいではないか(←俗物)。
自分で料理するときはこの味付けでもいけるよなぁとだんだん絞る。外食でも何もつけずに豚カツやらお好み焼きやら食べてみて、この方が味がわかるなと納得する。最初は思い込みでもそのうちそれが習慣になる。

その結果、天婦羅たこ焼きいか焼きお好み焼きフライ物全般はなにもつけずに食べるのが習慣になってしまった。ハンバーガーを食べる時だってケチャップは抜いてもらう。肉にもバンズにも濃い味がついている。
さすがに刺身や蕎麦、うどんあたりは全く味をつけないということはないが、かなり少量である。寿司であれば刺身の一角にちょいと醤油をつければ十分である。

食べ物のおいしさの幅が広がり健康にもいい。薄味ライフ考えてみてはいかがかな。
posted by Mozzo at 07:29| Comment(0) | TrackBack(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

うまいものの話:崎陽軒のシウマイ弁当

閑散たる我がブログのメインテーマはブログタイトルの通り世の中全体から家庭の小さなことまで疑問を呈し、自説を押し付ける傲慢なものである。
しかし、サブテーマもあって、このうまいものの話である。

とはいえ、どの店のどの献立がうまいのうまくないのとグルメ情報をやる気はない。料理や食材からいろいろ考えたいと思っている。時に固有名詞も出てくるが例として象徴として取り上げているに過ぎない。マクドナルドと名を挙げても別にマクドナルドを論じているわけではない。巨大外食企業・ファストフードを代表する名前だから出すのみ。
ま、原則がきっちり守られているかといえばそうでもないかもしれないが。

今回ははっきりと例外。特定の企業の商品を取り上げたい。
崎陽軒であり、シウマイ弁当である。

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横浜名物、ではあるが横浜市を中心に東京駅でも売られている有名かつロングセラーである。
なんと今年で60周年。還暦になぞらえて赤いちゃんちゃんこを模したパッケージのシウマイ弁当が発売されたそうな。
私はこれが好物で横浜近辺に出かける用事があったら必ず食べる。

中身は鉄壁といってよかろう。全部紹介する。

シウマイ。
崎陽軒の看板だからまずかろうはずがない。一口サイズで細かく摺ったと思われる滑らかで味の複雑な餡。
最近では大きなサイズだの粗びき肉だのと食べごたえを前面に押し出したシューマイが珍しくないが、そんなのは邪道だ。ならハンバーグを食べなさい。あの一口にみっちり感がいいのだ。

鮪のてりやき。
さっぱりとして味のきりっとした魚。みっしりと固い。これが白飯にあう。
魚のてりやきというとやたらてらてらとたれをつけたり、脂がのった柔らかな魚を使ったりしがちだが、それではこのシウマイ弁当に合わない。シウマイを引き立てる偉大な相手役としてバランスが取れている。

鶏のから揚げ。
一切れ小さなから揚げが入っている。正直特別なものではない。だが、この油と濃い味がいいアクセントになっているのは間違いない。水戸黄門で言うところのうっかり八兵衛である。

かまぼこ
地味である。普通である。お前はなぜここにいる?と聞きたくなるくらい役割がわからんといえばわからん。だが、弁当は幕の内という観点から見ればそこにいなければならないのである。淡白で紅白のかまぼこが茶色にかたむくおかずを引き締めるのである。
それに実は大事な役割がある。
まずご飯部分を食べ進めるときにはかまぼこは無視する。さらに昆布の佃煮とショウガも残す。シウマイにかける醤油も少し残す。そうして他のおかずとご飯を食べ終わる。
そこに隠し持っていた日本酒を取り出す。別に隠す必要はないのだが。
これを肴に1合の酒を飲むわけだ。ご飯を食べた後の酒はまずいと酒飲みはいうが、これは断然食後である。

卵焼き。
個人的な好みからいうと甘いからあまり好きではない。だが、客観的に見れば卵焼きも幕の内弁当の観点から外すわけにはいくまい。かまぼこと卵焼き、それに魚を焼いたのとちょっとした付け合わせ。それで最低限の幕の内はできるのである。
シウマイだマグロのてりやきだと地味になったところに華やかな黄色。私にとっては見た目重視で評価するほかはないが、一気に幕の内にしてくれる力のある脇役といえよう。

筍の炊いたの。
盛り付けも背面にある。地味な、映画で言えばエキストラに近い位置づけに見えるのだが、これが侮れない止まらないうまさなのである。
甘辛味が筍のしゃくしゃくゴリゴリした歯ごたえにあうし意外にもご飯のおかずになる。
もし、これが単品で瓶詰で売っていたら買う。買って冷蔵庫に入れておいて、つい冷蔵庫を開けて一口、また一口で一晩でなくなる気がする。食っちまったかと後悔するけどまた買う。
売り出さないかなー

昆布の佃煮とショウガ。
これが隠れたスターなのである。映画で言うと大スターがカメオ出演した感じ。昆布の旨みと塩味甘味。これだけでは足りないぼやけるという時にピリリとショウガ。これがご飯に合うのである。
美味しいのでもうちょっと量が入っているといいと思ってしまうのだが、そうするとほかのおかずの出番がなくなってしまう。いっそのことご飯は佃煮とショウガに任せてしまっておかずは肴にしてたんまり飲むという手もある。
このもうちょっと入っていればいいのに、と思わせる量も憎いねぇ。

杏。
幕の内といえば甘いものが付く。卵焼きを別として。
庶民的なものだと煮た豆だ。ちょっと気取った幕の内だと羊羹や団子のような一口サイズの菓子が入っている。
杏はその位置づけのはずなのだが大きく違うのはその酸味だ。甘味より酸味を感じる。
お茶請けなら甘い一辺倒のものでもよかろうが食事の締めとしてはこの酸味があってほしいと思うがどうか。

梅漬け・ゴマ。
ご飯の中央に小さな梅漬け。カリカリタイプの青い梅漬け。
その周囲に黒ゴマぱらり。
私の好みで言うとカリカリよりは完熟やわらかタイプ。梅漬けよりは梅干し、できれば古漬けで。その方がご飯に合う。
だが、これはご飯を消費するために存在するのではない。おかず軍団がいるではないか。
まず、ご飯の中央には梅漬け(梅干し)があるべしというテーゼを具現化しているのである(わかって言っているのか。。。)。
私の好みで言うと白飯の上に何もないのが好みである。梅干しもゴマもいらない。おかずと白飯を一対一対決させたいではないか。そこに梅の味に染まったご飯やゴマ粒が混ざってはいかんのだ。
しかし、ただ一面に白いご飯を見ると、これは幕の内ではなくただの弁当だという気がしてくるのである。様式美。
赤い梅干しのみ。日常の弁当、まだ幕の内じゃない。
赤い梅干しプラスゴマ。おお幕の内。
青い梅干しプラスゴマ。ちょっとお上品入ってしまった。
様式美なんである。

何やら地味なものほど字数を費やしているような気がするが、最後は満を持して。。。

ご飯。
ちょっと硬めの白飯が俵型に区切られて青梅と黒ゴマを散らしてある。
個人的には、食事としてはベストではない。
先にも書いたが白飯には何も載せないでいただきたい。
さらに俵型に区切るのもよくない。なんとなくペースが乱れるのである。
俵型が8個。まさか8口で食べきることはできまい、二口ずつで食べきれば16口。まぁありうる。ああやって区切られるとどうしても一口が区切りをまたぐのが気持ち悪いのである。
相手のおかずに応じてご飯の量を調整したい。昆布の佃煮とシウマイではご飯の量は違うではないか。シウマイなら1/4俵とか、佃煮だったら2/3俵とか。
ま、そこは心の問題なので乗り越えよう。

シウマイ弁当のご飯は美味しい。
まず言われるのは経木の使用である。
薄く削った木材の板を経木という。これを使用している。経木といっても納豆や刺身を包んでいたものと比べると厚みがあるのでこれで弁当箱が作れるというわけだ。昔は駅弁といえば経木だったそうだがいまや絶滅寸前。
現在、弁当箱の壁面部分には紙と木の複合素材(?)が使われているようで経木ではないが、底面とふたは経木である。
崎陽軒には横浜工場のほかに東京工場があるらしく、こちらは包装が別で底面のみが経木でふたはボール紙と聞く(見たことはない)。
ご飯をプラスティックの容器に詰めると水分が結露して、それを周囲のご飯が再吸収してぐずぐずになる。また、全体に蒸れてしまってよくないという。だから適度に水分を吸収するお櫃のご飯がおいしいのである。
よって経木の弁当箱がご飯にいいのは道理。紙と木の壁面でもプラスティックよりはいいのだろう。

この弁当箱は要所の接着を外すと小さく分解できる。経木のふたと底面を割ればほんの一握りにまとまる。プラスティックではこうはいくまい。
プラスティックに劣るのはご飯がこびりつきやすいことではあるが、それをはがして食べるのも乙というもの。プラスティックがいいとは到底思えない。

脱線したが、ご飯のうまさの秘密はもう一つ。
炊いてあるのではなく蒸してあるのである。ちょっと硬めなのもそのせいだろう。
充分に熱を通しつつ水分過剰にならないということか。
これが冷めてもおいしいご飯の秘密らしい。

以前にも書いたが、冷たいにも関わらず美味しいのでこれは油などの炊飯改良剤を使っているのではないかと思い崎陽軒に問い合わせたことがある。その回答が実は蒸していると。
今はWebページを見るとその旨書いてあるようだ(昔から書いてるのかもしれないが。。。)

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誰にも好まれるという客観的な視点でみればほぼ完璧な陣容である。

しかし、個人的な希望も言いたい。
すでに書いたが、甘い卵焼きではなくしょっぱい卵焼きにできないものだろうか。出汁が浮かない程度の出汁巻きなら最高。
これは取っておいて、酒の肴にするのである。かまぼこと合わせて2合は飲める。

あと美味しいとはいえシウマイ5個は多いのではなかろうか。シウマイ弁当だから当たり前といえばその通りなのだが。
1個減らしてその分甘くなくてよくひねた沢庵をふた切れというわけにはいくまいか。秋田のいぶりがっこでもよい。あるいは奈良漬、名古屋の守口漬。
これがあればもう一合。。。。

しかしこれでは日常の弁当になってしまうな。それに秋田だ奈良だ名古屋だと全然横浜名物じゃないし。

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さて、シウマイ弁当は駅弁である。包装紙にもそう書いてある。
だが、実態はそれほど駅弁ではないようだ。

駅弁本来の登場場所は長時間乗車する列車だ。
出発駅で購入して乗車。車中で食す。これは観光・商用その他共通のスタイル。
駅弁が観光の大きな目的になっている場合もある。
到着駅(観光地)でまず購入して景色のいいところで食す。帰りに別の弁当を買って車中で食す。これもあり。

昨今では観光を取り払って駅弁が向こうからやってくるケースもある。駅弁祭りなどと百貨店の催事場などで行われるのだ。これがまた毎回盛況だそうで、名物駅弁目当ての人が押し寄せるそうな。

ま、当たり前のことを書いたがここまでは駅弁の概念にあっているといっていい。

だが、シウマイ弁当はちょっと違うような気がするのである。
駅弁を旅の車中で食べるものとするなら、長距離列車の発着駅、観光地の最寄り駅ということになるのではないか。
自宅最寄り駅、たとえば地下鉄の駅が出発地だったとしても、駅弁は東京駅とか大阪駅とか長距離列車の出発地で買うのではなかろうか。地下鉄で食べたいなら話は違うが(いないか)。

ところがシウマイ弁当は単なる通勤路線の駅、ターミナルでもなんでもない駅でも売れているのである。私の乏しい観察からものを言っているのだけど、何度も見たので間違いない。

たとえば以前訪れた東海道線の戸塚駅(これはこのブログで書いた、ホームの放送が狂っている駅だ)。駅前にいくばくかの商業地帯はあるが観光地要素ゼロ。工場もあるみたいだから商用客はいるかもしれない。しかし周辺の広大な住宅地を抱えたほぼ完璧ベッドタウンである。横浜東京へ通勤する人が利用者の大半だ。

ここでもシウマイ弁当は売られている。しかも後で調べたのだが、駅改札近くだけで3店舗もある。
当然戸塚に訪れた時にはシウマイ弁当を買ったのだが驚いたことが二つある。
まず、シウマイ弁当がうずたかく積まれていたことである。カウンター内にはまだまだあるようだ。
仮に、この地に観光や商用で訪れる人がいるとしてこれほど売れるのか。この駅は成田エクスプレスの発着もあるので観光客が買うということもないとは言えぬが、世界から戸塚を目指す人がどれだけいるか。地元から旅行に出かける人が地元の弁当を買っていくのか。

そして驚いた2点目は弁当を買った人は電車に乗らないということだ。改札へは向かわない。普通に買い物袋をぶら下げたおばちゃんやら会社帰りと見える兄ちゃんが次々に買っていく。

これは全くの想像になるが、地元の人が日常の食事、でもちょっといい食事として買っているのではないかと思うのだ。
おばちゃんが、今日はお父ちゃんが付き合いで遅くなるから晩御飯はシウマイ弁当で。ちょっと楽しみ。とか。
一人暮らしの若い兄ちゃんが、今日は会議でばっちり言ってやったぞ、晩御飯はシウマイ弁当で(いつもは牛丼やコンビニ弁当)。ちょっと楽しみ。とか。
なんか、日常なんだけど、ちょっと特別な日に食べるものという感じなのだ。
日常食として決して安い部類には入らない。
シウマイ弁当1個770円也。消費税アップで上がったらしいが、以前買った時も750円とか古くは710円とか、だいたい牛丼並の2倍という価格帯である。
格安ではなく普通の外食の値段である。この値段で普通の定食を出す店は珍しくもない。それを持ち帰りでこの値段。

とはいえ、わー豪華やーという値段でもない。
今日は週末だからとか、仕事うまくいったからとか、父ちゃんいないから(それでいいのか)とか、そんなちょっとした特別。そんな感じなのである。

なにも戸塚駅だけがシウマイ弁当の特殊地帯ではあるまい。
横浜を中心にこうした地域密着型駅弁(矛盾してるが)として60年間親しまれてきたのではなかろうか。
そう考えるとしみじみする。

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先にも書いた通り、シウマイ弁当は60周年。
何度か内容の改定もあったそうだし、日々小さな改良は行われていることだろう。
だが、基本的に変わらない。あのシウマイにうまい飯、バランスの取れたおかず軍団。
素晴らしいものなのだが競合相手がいるじゃないか。
地域密着型駅弁というなら(私が言っているだけだが)、60年前にはなかったコンビニエンスストアの弁当は強敵のはずだ。

色とりどりの弁当群。種類もさることながら次々に改良され工夫された新しい商品が出てくる。食べてみれば美味しい。
価格だって500円台は割といい方。300円を切る商品すらある。770円となれば高級品の部類に入る。店の数だって比較になるまい。
商売の理屈から言ってシウマイ弁当がすたれてしまってもおかしくない。専門家が分析すればニッチが違うとか理由はつくのだろう。

コンビニ弁当を悪く言うわけではない。専門家が精魂傾けて商売上のコストや戦略、あるいはコンビニという業態からくる制約をなんとかかわして美味しいものを届けたいという情熱に崎陽軒との変わりがあろうか。

だが、マーケティング理論に基づき能動的に市場を攻めていくコンビニ弁当に対して、長い伝統と自らの感覚に基づきじわじわと商品を改良していく姿勢は対比的ではある。
そこが評価されているといって間違いはないと思う。そこだけではないとは思うが。

もちろん崎陽軒は戦略的な商品も多数出している。老舗の守旧だけではないのである。季節のナントカ弁当とか(興味がないので覚えていないが)とか。研究はしているのだ。そう、赤飯弁当は美味しかった。いろんな弁当も買って食べれば美味しいのだけど印象が今一つ残らない。でもおいしいよ。

ただそうした戦略的商品がそうそう大ヒット・ロングセラーにつながるものではあるまい。
赤飯弁当と横濱チャーハンが定着しつつあるというところか。あと話題となった東京工場だけで作っているお魚弁当(シウマイが入っていない! 社内で侃侃諤諤の議論があったらしい)。
でも、そうした見栄えのする売り込みをしておいて、集まった客に「やっぱりシウマイ弁当・シウマイだよね」と言わしめる商品性があるというところがポイントなんだろう。
ちょっとした手土産でシウマイをもっていけば鉄板だもの。

こうした強みがあるから大企業のコンビニにも負けません。

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一方で戦略的判断なんだろうなくなったものもある。
幕の内弁当の梅。シウマイ弁当に比べて簡素である。
先にシウマイ弁当のシウマイが多すぎると書いたが、私がシウマイ弁当に求めているものだけを集約したのが幕の内弁当の梅なんである。
ご飯の量、シウマイの量、おかずのバランス、実にちょうどいい。当時たしかシウマイ弁当が700円そこそこだったときに500円そこそこ。
実はシウマイ弁当より幕の内の梅の方が好きだったりする。
一回の食事としては幕の内の梅がベスト。多いご飯を考えるとさらに余るおかずを「肴にして飲む」のがシウマイ弁当の前提ともいえよう(私だけだが)。

もう一度発売されないかなぁ。シウマイ弁当では重いとき、ちょうどいい弁当だったのけど。

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崎陽軒は弁当を含めた外食産業では勝ち組なんだろう。全国規模ではないけれど南関東をがっちり押さえているのではなかろうか。
経営状態を調べたわけではないが、消費者側から見ればそう見える。

関東一円での販売、さらに横浜には崎陽軒のレストランビルがあるとかなんとか。
行ったことがないのに書くのもどうかとおもうが。なんでも結婚披露宴まで受け付けるようなレストランがあり、ケーキカットならぬシウマイカットができるそうな。巨大なシウマイに入刀すると中から小さな(普通サイズの)シウマイがごろごろとか。
さらにイタリアンレストランも経営とか。
何!?イタリアン!? シウマイが本業なら中華ではないのか!と思ったらそこが深い。

シウマイとはいえストレートに中華ではないのである。
崎陽軒の崎陽とは長崎の美称であるという。つまり、鎖国時代にも国際的な交流があった長崎文化をベースにしているぞということだ。
私は崎陽軒のシウマイが一番うまいとおもっているが、焼売つまり飲茶の本家香港(広東料理)の人から言わせれば違う!と言われてしまうのかもしれない。どちらがいいというのではなく伝わってきて変化を続けてそれぞれ違うものに進化したはずだ。本場の香港といえど、60年前の焼売をそのまま飲茶で出しているとは思えない。改良があるはずだ。

崎陽軒にイタリアン。伝わってきたものは何でもいったん取り入れますぜ。それでいいものがあったらどんどん改良、広めていきますぜという姿勢があるのではなかろうか。
長崎といえば卓袱料理が名物である。これも鎖国時代に伝わってきた中華料理やオランダ料理その他もろもろを和食と合わせ昇華して完成されたという。

長崎ルーツの横浜名物。横浜といえば文明開化で海外に開かれた窓である。
なにやら長崎との類似性があるような気がしないでもない。調べると夏休みの自由研究並みに大変そうであるのでやめておくが、取り込み改良し根付くというプロセスを持っている、頑なでない柔軟ではあるが芯は守るという人たちが崎陽軒を築いたのではなかろうかと。
そんなわけで応援したい企業の一つなんである。
posted by Mozzo at 18:44| Comment(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月17日

うまいものの話:簡単には食べられないもの

たとえば。
山田うどんというチェイン店がある。最近はテレビで取り上げられたり本が出たりと話題になっているようだ。私もそれで知った。
うどんを中心にしたメニュが人気。安くておいしくておなか一杯。いろんなうどんメニュもおいしそうだし、サイドメニュも魅力的。サイドメニュにお餅があるのが餅好きにはなんとも。。。
とはいえ究極の美味を追及しているわけではない。うどんだって工場でゆでたものを店舗に配送しているものだ(ゆであがる一歩手前のものを配送するそうだが)。

私は山田うどんには行ったことがない。話題になっているので食べに行きたいとは思うのだが。
特別な美味ではないけれど普通にうまそうなものを気軽にたっぷりと。いいではないか食べに行きたい。
ところが、山田うどんは北関東を中心にした展開で、その他の地方にはない。
悩ましい。

なまじ天下の美味で高級品で、味の想像すらつかないような名物であるなら交通費と時間を費やして食べに行くだろう。しかし、いくらうどんやモツ煮込みがおいしそうとはいえ、餅があるとはいえ、格安とはいえ、である。食費の何倍もの交通費をかけて食べに行くものではあるまい。近くにある高級な和食の店に行ったほうがいい。
なにかのついでにならぜひ立ち寄るが、山田うどん目的に出かけるのはちょっと。。。。

だけど食べたい。簡単に食べられないとはこういうことなのだ。

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そう簡単には食べられないものがある。
非常に高価だとか、遠く外国に出かけなければ食べられないというものなら食べられなくとも納得いくし、どうしてもというならお金をためてという気持ちにもなる。実際に実現した人も多かろう。
中途半端に手が届かないのがいかん。

日本中どこからでも北関東に出かけるのはそう困難ではない。高くても数万円であろう。時間だってよっぽどの場所からでも1〜2日あれば到着するだろう。スイスの山奥でしか食べられないチーズを探して、なんて旅より安直であるのは間違いない。
だが、食べられるのが肉野菜炒めとうどんのセットであるなら躊躇するのが当然。
とはいえ食べてみたい。

この葛藤が簡単に食べられないものとしてかえって魅力なんである。

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わざわざ出かけていくか、という観点からは、相対的にその食べ物の魅力が高まれば解消してしまうともいえよう。
讃岐うどんブームなんてのがそれを表している。
せいぜい数百円、しかも立ち食い、セルフサービス当たり前、薬味のねぎを自分で切るだの畑からとってくるだの。それを交通費をかけて全国から食べにくるのだ。
うどんのうまさにプラスして雰囲気とか食文化総体が評価されてのことなんだろう。

ま、いっちゃ悪いが山田うどんは讃岐うどんの域には達していないということができるのかもしれない。

それでもコストパフォーマンスで考えられるだけならまだ単純なのである。

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全国チェインの吉野家。
好物なんである。
駅などちょっと人が集まるとこならもれなく出店しているというくらいに普通だ。値段も手ごろで「なかなか食べられない」なんてことはあるまい。だが、そこにもなかなか食べられないものがあるのだ。

吉野家の紅生姜がいい。
若干さっぱりしすぎとも思うが(かなり水に晒してあくを抜いているが若干やりすぎ?)、さわやかな味付けで牛丼にあう。牛丼チェインではナンバーワンだと思っている。
この紅生姜を牛丼のみに合わせるのは惜しい。焼きそば、お好み焼き当たり前、ポテトサラダに混ぜたりビフテキに添えたりなんていいのではないか。甘ったるい寿司屋の生姜より吉野家の紅生姜が寿司にあうのではないか。そうめんの薬味にはどうか。

吉野家の紅生姜。牛丼の添え物であってメニュに載っているものではない。
だがそれゆえに自由には食べられない。
牛丼にのせるならたんまりと食べられるが持ち出せるわけではない。持ち帰りで買えるわけでもない。牛丼を買うとつけてくれるが小さな袋に2個が限度らしい。

自由にたっぷりと食べる方法がない。
子分が100人くらいいれば牛丼弁当を買わせて一人2パックの紅生姜を手に入れさせ取り上げる(何様なんだ)こともできるかもしれんがそんなに子分がいるわけでもない。

現在、吉野家の紅生姜を入れたたこ焼きは味付けせずともうまいのではないかと妄想中。ああやってみたい。

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紅生姜と同じような理屈で、手軽に食べられるけど組み合わせやシチュエーションが許さないというものがある。

たとえば。
まずいと批判されることも多い大手ハンバーガーチェイン。
まぁ大抵の批判は行き過ぎであって、大手であることとジャンクフードという考え方が人を攻撃的にさせるのだろう。作りたてならそれなりにおいしい。
大手で言うとマクドナルドのハンバーガーは好きである。ただしケチャップやソース抜きで。嫌いではないけれどそれだけの味になってしまってがっかりするからだ。食感もぐちゃぐちゃしている。
と脱線したがソース抜きで出来立てのビッグマックはおいしいし、手軽に手に入る。バーガーキングのワッパーもケチャップ抜きならおいしい。

だが、そこにビールを合わせたいのである。ジョッキで!
出来立てのレタスぱりぱりハンバーガーとビールのジョッキをトレイに載せて、アメリカ1950年代風のウェイトレス・ウェイターが運んできてくれる店ができたら通いますなぁ。

現実はそれは無理。持ち帰りにしてビールと合わせることはできるがレタスはしなしなであることは間違いない。マクドナルドの隣に住まない限りできないのである。

もちろん、高級ハンバーガーを出す店にはビールがあるのでそちらに行けばいいのだが、それはそれで店が少ないという問題がある。ハンバーガー食べに旅行もねぇ。

同じようにメニューにビールがあれば、日本酒があればと思う店は多々ある。
私がよくいく讃岐うどんのチェインが2つある。
一軒は麺おいしく出汁おいしくトッピングも豊富で天麩羅おいしい。だけど酒が置いていない。うどんで天麩羅で日本酒が呑めたら、いやビールだけでもいいと。
もう一軒はまずくはないのだが、麺も出汁も天麩羅もトッピングも今一つなんである。そこにはビールがある。ついこちらに足が向く。

料理に合う酒があればということを言い出したらきりがない。

有名チェイン店だけでもいろいろ要望がある。
サイゼリヤはムール貝のガーリック焼きに日本酒を付けてほしい。焼酎もいい。ワインやビール、さらにグラッパまで置いているのに日本酒がないなんて(まぁイタリアンだからなんだが)。

吉野家の牛丼には赤ワインではないだろうか。ただし牛丼は汁抜き、ワインは安物でいいから醤油に負けない渋いもの。つゆだくはダメ。
冷酒を置いているのは大変に良いのだが赤ワインが飲みたいこともあるのだ。

駅の立ち食い蕎麦は日本酒を徳利で出してほしい。
回転率重視の商売だから酒を出すのは商売として意味がない。
でも、ざるを頼んで日本酒二本飲んでちゃきっと出ていくきりっとしたおじさんとか、四本頼んで「てへへまた飲んじゃってね」とたぬきそばの汁すすりながらにこにこしているおじさんとか、風景として欲しい。
自分が飲むなら宗田節の利いた汁のかけ蕎麦。蕎麦はちゃちゃっと食べてしまい、汁に熱燗、それで立ち飲み。いいなぁ(すげー迷惑だと思うけど)。
高級化した蕎麦屋には変わった料理をあてに飲む人がいる。最近ではよく取り上げられるが蕎麦掻も台抜きも酒に合うおいしい食べ方なのである。でも、高級な通の世界になっちゃったかなととも思う。蕎麦は伝統のファストフード。そういう意味では正統は駅の立ち食い蕎麦屋。そこに酒を合わせる風景があればなと思うのである。

前にも書いたけど、自動車道のサービスエリアに酒がない。
当たり前と言えば当たり前かもしれんが、自動車道を行き来するのは運転手だけではない。手打ち蕎麦、鮎の塩焼き、牛タン串焼き、銘柄牛のステーキ、そこに酒がないなんて。。。。

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と、酒に合わせることばかり考えてしまうが、その他にも組み合わせやシチュエーションというものがある。

この店にお茶があれば、と思うことは多々ある。
たいてい扱いが楽な焙じ茶で番茶は少ない。あってもまずい。食後には濃くておいしい番茶を飲みたいのにとおもうことがある。考えてみればコーヒーや紅茶は有料なのに焙じ茶や番茶は無料とする店が多い。有料でいいからおいしいお茶を食後にと思う。
和食の店なら当然として、それ以外でもお茶が飲みたいと思う。
こってりとした肉料理のあとなど合うと思うのだが。いい寿司屋で出るようなお茶がいい。日本人ですから。

「ここに白飯があったら」と思うケースは多い。
外国料理ではむつかしい。欧米料理に白飯がつくことは本来ない。あってもジャガイモやトウモロコシと同列で「穀物の付け合わせ」なんである。
それでも、日本に展開している外国料理店ではよっぽど本場にこだわる店でない限りご飯が選べる。とはいえ、平たい皿に盛った白飯は冷めやすく乾きやすく食べにくい。茶碗がいいのである。また、茶碗に盛った白飯のお供は味噌汁と漬物である。
白飯味噌汁漬物のいわば「土台」に外国料理の一品を「おかず」として合わせたいんである。

絶対にうまい。
仏国料理なんていい。皮がサクッとして身肉がしっとりとした白身魚のポワレとか、家庭料理のラタトゥユとかご飯に合わせたい。
さらに鉄板でご飯に合うのがビフテキだと思う。鉄板だけに。
レアなところを、ちょっと醤油をたらしてもいい。切り分けて茶碗のご飯と一緒に。
不思議なことにビフテキ丼ではだめなのだ。最初から切ってしまうのがいかんのか、あの妙なたれがいかんのか。

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世間に出てこないもの、というのもある。
簡単に言えばまかない料理みたいなもんだ。
メニュには載っていないし、そういうものがあるという情報すら出てこないものがある。
まかない料理というならまだそれが評判を呼んで正式メニュになることもないではない。また世間に知られるまではこちらも知らないわけで、ああ食べたいとはならない。

だが知っているけれど食べられないものがあるのだ。
ミスタードーナツのフレンチクルーラー砂糖抜きである。店頭に出るときはどろっとした砂糖のコーティングがしてある。あれがないのだ。
ミスタードーナツとしては内規違反だとは思うが、つてをたどってフレンチクルーラーを砂糖に漬ける前の揚げたてをたべることができた。これが傷害事件であっても時効になるくらいの昔の話である。勘弁してほしい。
これが絶品。うまいと言ったらない。砂糖なんてつけなきゃいいのにと思う。塩を振ったらさらにいいだろう。正式メニュになればいいのに。

たまたま機会があったからおいしいことを知ったが、こういうものはまだまだあるんではないか。ゆでたて揚げたて、味をつける前。

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人数が集まらないと食べられないものというのがある。
調理をする量、言い換えれば同時に食べる人数は重要なのだ。
たいてい一人前を作るのはおいしくないものだ。家庭料理のように数人のために作るのがおいしい。
これが結婚披露宴のように何十何百となると、一斉に出すためにはまた難しくなってしまうものだ。

とはいえ、人数が集まってこそ食べられるものもある。
いやお金を出せば100人分を作って一人で食べて残ったのは捨てるというのもできようが、それは神様が許さない。

まず思いつくのが大きな肉のローストである。周りはこんがり焼きあがるのだが中は生焼け。だけど生ではなくじんわり熱と味が染みている。これは大きな肉の塊でなければできない。仮に5sの肉を焼くとしたら15人は集めないと食べきれまい。
一度牛の丸焼きというのを食べてみたい。牛に串というか鉄棒をグサッと通して炭火で焼くあれだ。あんなのもうイベントだからね。何人集めればいいんだろうか。
それが実現したら次は鯨の丸焼きを。重機のメーカー「コマツ」あたりに協力を仰いで巨大クレーンで持ち上げて、巨大ローダーで串(電柱くらいか?)をグサッと挿すのである。鹿島建設あたりに頼んででっかい炉を組んでもらって焼くのだな。切り分けるにはやっぱり「コマツ」の協力が。脱線。

また大鍋で作るものも人数が必要だ。有名なのは山形の巨大芋煮である。
別に一人前作っても同じと思うのだが、ああしたものは大鍋であればあるほどおいしい。ショベルカーを持ち出すほど大鍋でなくてもいいが、一人では運べないほどの大鍋で作るとなぜかおいしい。雰囲気が味に影響しているのもあるんだろう。寒い中屋外で火を焚いて大鍋。少人数では食べられないおいしさだ。

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日常普通のものがふんだんに食べられるのに食べられないものを夢想すること自体が罰当たりな気もする。まぁ目くじら立てて怒るほどのことでもないけれど。たかが妄想。

だけど、「希少だから食べてみたい」は止めたいなと思う。
鱶鰭なんて高いから食べたいんじゃないのか。春雨でも同じくおいしい。本鮪はおいしいんだろうけど、鯵だっておいしい。鰻だってそうだ。
希少になる→食べたい→値段が上がる→乱獲してでも獲る
こんな図式に加担したくはないので。

と、最後は真面目になって締める。
posted by Mozzo at 14:14| Comment(0) | うまいものの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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