2015年02月24日

いい患者になろう

病院は混んでいて、待たされて、医者は話を聞いてくれなくて、看護師は忙しそうにこっちをほったらかしだ。という話はよく話題に上がる。
そういう一面はあるとは思う。だがすべてがそうではないし責めるべきは医療関係者なのだろうかと思うのである。

なるほど大病院はたいてい混んでいる。待たされる。
だが、街の開業医はそれほどでもない。
私の主治医(持病があるので定期的に通院している)は街の開業医である。
名医の誉れ高く、患者の話を親身に聞いてくれる。なんとか薬を減らそうとか、患者が楽になるような方法があろうと考えてくれる人だ。
故に待合室に数名しか待っていなくてもそれなりに待たされるがそれほどでもない。これほど素晴らしい医師、そして素晴らしい診察には大病院ではお目にかかれないというのに、患者が次から次へと押し寄せるほどではない。
丁寧な医師より手っ取り早く薬を出してくれる医師のほうがいいという向きもあるが、名医と評判でもこんなもの。開業医の個人医院なんてのはそんなもんである。

よく言われるように大病院信仰が過ぎるのではないかと思う。
大病院が特別レベルの高い医療を行っているわけでもない。
もちろん、珍しい難病とか最先端医療に関しては大病院に利がある。難病に関しては狭い分野で深く研究と経験を積んだ医師でなければ対応できないし、最先端医療には高価な機材や希少な薬剤を要することが多々ある。
だが、普通の病気に関して開業医が経営する小さな医院でも何の不足もない。
さらに言えば、自らの病気とその医師が得意とする分野がうまく合えば、遠くにある大病院にいる特別な専門医にかかるのと同じレベルの診察・治療が期待できる。
たとえば内科という大雑把な科目を標榜していても、アレルギーが得意とか、呼吸器が得意とか、消化器が得意とか、違いがあるのだ。それはその医師が開業する前に勤めていた病院の診療科に関係するのだろう。
無論一人の開業医で手が回らない部分もあるが、そこはうまく大病院と連携をとってくれる。
私の場合、主治医は内科とはいえアレルギーが得意分野なのだが、消化器系のことを相談したら大病院の専門医を紹介された。もちろん投げ出したわけではなく、大病院の専門医が診て治療方針が決まるとか症状が落ち着くようならあとは主治医が引き取ってくれるのである。主治医と大病院との掛け持ち受診は時間がかかって仕方ない。

別に大きいからいい、小さいからいいということではない。一番近くて通いやすいところが大きな病院であればそこが主治医になるのが理想だとは思う。
しかし、現状大病院志向が行き過ぎていて大病院の医師も看護師も疲弊している。忙しすぎて丁寧な診察を期待できない。一方で開業医は暇で経営的にも厳しい。
まず、自分にあった主治医を小さな医院で見つけることが正しい患者だと思う。
患者の行動が冒頭に挙げた病院が混んでいるだの待たされるだのという不満を生んでいるのではないかと思うのである。

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細かいことを言うのであるが、患者の細かい行動も病院の効率を落としていないだろうか。
医師が忙しいから患者の不満につながるのであるなら、医師の時間を無駄にしないような行動が患者にも求められるのではなかろうか。

待合室で呼び出しを待っていて、呼んでも患者がいないというのは言語道断だと思う。何度も呼ぶ間、医師は手持無沙汰なのである。呼ばれた当人は待たされているからと買い物に出たりしているわけだ。別にいなくても順番を飛ばしてくれたらいい、戻ったらすぐに診察してくれよと思っているのだろうが、その間に時間をロスしていることに神経が回っていない。
それはみんなの迷惑になる。呼んでいなかったらいったん受け付けはキャンセルになるくらいにすればいいのにと思う。
待ち時間を有効に使うのはかまわない。きちんと事務に伝えればいい。何時までに帰ってくると伝え、戻ったらその旨も伝える。そうすれば効率的だ。身勝手はいかん。

呼んだらいないというのは言語道断だが、いたとしても呼ばれてのんびりしているのもどうかと思う。
呼ばれてからのっそりと読んでいた雑誌を片付け、広げた荷物をえっちらおっちらとまとめて診察室へ向かう。小さな話だが時間の無駄だ。

大体、自分がもうすぐ呼ばれるのかどうかなんて周りを見ていればわかるだろうに。自分が来たときに座っていた人がいなくなったらもうすぐ自分の番なのだ。
もうすぐと思えば雑誌を戻し、荷物をまとめいつでも動けるようにしたらどうかと思う。
とろとろとしているだけで他人をいらいらとさせるものである。そう思う自分が狭量であるということは重々わかっているのだが、そう思われてしまうことは事実だ。しかも、そのとろとろとしているおかげでこちらの診察が遅くなると言えば他人ごとではない。たとえ面と向かって文句を言われずとも他人からとろとろしていると思われたくはないではないか。

さらに呼ばれたらきちんと返事をすることだ。
効率云々ではない。人間として呼ばれて返事もしないとはどういうことか。最低限の礼儀もないのか。病気で返事をするのも億劫なのかもしれぬが返事もしないようでは情けない。

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ここまでは要するに「とろとろしとったらあかんで」という話なんだが、もうちょっと積極的に効率的な患者になれないものだろうかということも考えたい。

私の場合持病があって、薬の種類が多いし長期間飲み続けている。
薬は飲み忘れもあるし、状態によって飲めないこともある。食事ができないときには飲めないとか。
そうなると薬によっては余ることがある。余ったら捨ててしまう人がいるそうだが医療費の無駄。当然今回はいりませんと断ればよい話である。在庫調整だ。
故に今回はこれがいらないとか、前回出さなかった薬を今回出してくれとか細かい話が多々ある。これが時間がかかる。間違いも起こる。

もう一つややこしいのが薬の話をしているときに医師は先行薬の名前しか覚えていなくて、こちらはジェネリック(一般名)しか覚えていないことである、
前にもこの話は書いたのだが、開発されてから長い薬は特許が切れてジェネリックが出ていることが多い。先行薬はその企業独自の商品名をつけるがジェネリックは一般名で売るというルールになっている。ルールができてまだそれほどたっていないので、ジェネリックにも企業独自の名前がついていることもある。ややこしい。
たとえば胃の薬であるランソプラゾールは先行薬としてタケプロンというものがある。武田薬品が出している。で、ジェネリックは一般名であるランソプラゾールで売ることになるわけで、これだけでもややこしいのであるが、新しいルールが適用されず「ラソプラン」とか「タピゾール」とか後発薬もある。
医師が「タケプロン」と処方しても患者が受け取る薬は「ランソプラゾール」だったり「タピゾール」だったりするわけでややこしいことこの上ない。

当然ながら患者の側は処方された薬の名前で憶えているが、医師は当初からの先行薬で憶えていることが多い。
故に話が通じない。
「今回ランソプラゾールはいりません」「えーと、タケプロンのことかなぁ」「そうでしたっけ」というような会話だ。

こんなことで時間をつぶしても仕方ない。私は出してほしい薬について表にまとめることにした。一般名と先行薬名も記載して、いつもはXX日分だが今回はいらないとかYY日分でよいというようなことを一覧にしたのである。
そうすれば話も早いし間違いもない。こういうものを作っていると自然と勉強することにもなる。なぜこの薬が出ているのが、どのように効く薬なのか。

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同じ理屈で、毎回説明に時間がかかっていると思うことがあれば文書にまとめておくことだ。
症状の説明、処方してほしい薬、出してほしい書類。なんでもまとめておけば医師も楽である。

医師の中には患者が勉強して文書にするなど「馬鹿にされた」と思う不届き者もいるという。そんなダメ医師は見切るに限る。
名医の誉れ高いわが主治医は最初に表にまとめて持って行ったら「これはじっくり見たいから紙をください」と言った。興味津々丸である。もちろん提出するつもりで持って行ったのだから差し上げた。
患者こうあるべしと医師仲間で参考にしてくれたらうれしいのだがそれは期待しすぎか。

まぁ医師の側から「あんた言ってることがまだるっこしいから、次から紙にまとめといてくれる?」とは言えない。患者の側から意識を高めて効率的に話が伝わるようにしたほうが互いのためだ。

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よく病院に行くので他の患者も観察するのだが、最初に挙げた「とろとろしとる患者」以外にもいろいろとどうかと思う人がいる。
自分のことを適切に説明することは必要なのだが、必要のないことまでしゃべり続ける人がいる。最近では患者の話をよく聞くことがよしとされているので無下に遮ることができないのだろうが、黙れと言いたいようなことを延々としゃべっている人がいる。
老人で話したい鬱憤がたまっているのだろうが、忙しく時給の高い医師に相手をさせることではあるまい。そこにニーズなり聞くことによる効果があるなら、別の人がまとめて聞くような効果的な仕組みが必要だろう。

さらにくどくどとクレームを入れる人もいる。
病院、医師とて人の子。間違いもある。なにがなんでも文句を言ってはいかんとまではいわん。言うべきは言うのが正しいが行き過ぎはいかん。病院の責任でもないことをぐちぐちねちねちと文句を言い続けてはいかん。
これまた患者の言うことは聞くべしという価値観があるため、こんなくだらない人の話をずっと聞かされる人がいる。その人も気の毒だし、忙しい病院スタッフが一人忙殺されるわけでほかの患者もいい迷惑である。なんとかならんか。

病院で待たされるのは仕方ないとしても、待合室で座ることもできないということもある。何時間もたちっぱなしでは難儀だ。
どうにもキャパシティが足りなくて椅子が足りないということもあるのだが、同伴者が多すぎるのではないかという人もいる。
患者が乳幼児や足元もおぼつかない高齢者なら付き添いも必要だろうが、そうでないのに何人も付き添って椅子を占領しているのはどうかと思う。普通の大人が患者なら病院近くまで付き添ったとしても待合室まで入ってくるべきではない。
さらにいえば、ほかの患者が立っているような状況であるなら付き添いは座るべきではない。病院なのだ。

単純に待合室が混むという問題もあるし、待合室には感染症の人も行き来するわけだ。無用に人を連れてくることもよろしくない。ことに子供はよろしくない。
兄弟姉妹が多い家庭では子供一人が通院するために全員連れていくなんてこともあるだろう。これがいかん。インフルエンザなど感染症であれば移す側にも移される側にもなる。「そんなこといったって」という親御さんもいるだろうが、子供を預けることすらできない生活環境の貧しさに気付くべきであろう。

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病院も町中にあるものもあればちょっと郊外にあるものもある。
その地域が車社会だと車で通院する人が多い理屈である。
車で通院するのが当然という場所なら充分に駐車場があるだろうし、車で来るなんて馬鹿じゃないのというほどの町中にあれば駐車場はないが車で来る人も少ない。
そこが中途半端な位置づけにある病院だと駐車場が足りないのにみんな車で通院するということがおこる。
通院するのが徒歩圏内の患者だけではなく、交通機関もあるにはあるが便利とも言い難いという状況だ。バスが30分に一本では車で行こうかとなるのもわからんではない。病気なんだし。
中途半端に駐車場があるのもいかん。数台分の駐車場があるだけなのに「当然自分は止められる」と思って出かけるのがドライバーというものなのだ。

そうなると付近に違法駐車があふれるわけである。「人が乗っていれば駐車じゃないんだもん」と付き添いで来ている人が車に陣取って止めているケースもあるが、迷惑度合いは違法駐車と変わらない。駐車と停車は違うとルール上ではなっているが、あんたの車が邪魔な状況になっても移動しないでしょうに。邪魔は邪魔なのだ。
ルール違反であろうがなかろうが邪魔だ。病院には救急車が来ることもある。一刻を争う。
「なんとか通れるから俺の車邪魔じゃないもん」と思っている時点でアウトだ。病院の周辺と導入路は駐停車禁止で止めるなり即刻検挙くらい厳しくてもいいと思う。救急車の中で不安な時間を過ごしたことがある人なら納得いくだろう。

これも正しい患者とはいいがたい(というか正しいドライバーですらないが)。

駐車している車両が邪魔というだけではない。
仮にエンジンかけっぱなしであるとすれば、病院には入院患者もいるのである。入院患者といえばことに住環境を悪化させてはいかん。

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ただでさえ調子の悪いときに行くのが病院である。気分が塞ぐ。
患者自身がさらに気分の悪くなるようなことをしないようにしたいものだ。
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2014年06月12日

処方箋との付き合い方 お薬手帳をめぐる低レベルな騒動

あきれるというかレベルが低いというべきか。
産経新聞サイトから引用。

引用ここから====
「お薬手帳断ろう」ツイッターで情報拡散 薬局などは手帳の有用性PR
2014.6.8 21:18

 「お薬手帳を断れば、薬局の支払いが20円安くなる」。医療の値段である診療報酬が4月に改定されたことを受け、インターネットの短文投稿サイト「ツイッター」でそんな情報が広がっている。

 薬剤師などの医療従事者からは「自分の健康を守る手帳なのに、安くするために断るという考え方はなじまない」と戸惑いの声が上がるが、現場では手帳を断る患者が増えている。

 薬局側は「有用性を分かってもらうことが大切」として説明を強化し、理解を広げたい考えだ。

 お薬手帳は医療機関で処方された薬の名前や処方量などをシールで貼るなどして記録、管理する手帳。他の医療機関で出された薬との飲み合わせや過去の処方薬の確認ができることから、全国の薬局で取り入れられている。

 東日本大震災では、カルテを流された医療機関もあったが、患者が持参したお薬手帳が診療の大きな助けとなった。

 従来、手帳への記載などで薬局が得られる「薬剤服用歴管理指導料」は410円だったが、4月の診療報酬改定で手帳が不要な人への指導料は340円に減額された。3割負担だと自己負担額は20円安くなる計算だ。

 ネット上では、「手帳を断れば20円安くなる」「20円を得るため、薬局は勧めてくるので断ろう」といった情報が拡散。逆に、「20円のために健康を危険にさらすのか」などの反論も続出している。

 厚生労働省は「安くなる裏技のように情報が広がるのは好ましくない」とするが、「患者側が手帳にメリットを感じていないから、そういう意見が出るのではないか」と医療者側にも責任があるとする。

 こうした事態に薬局も対応に本腰を入れ始めた。全国で調剤薬局を展開する「アイセイ薬局」(東京都千代田区)によると、お薬手帳を断る患者は1割ほどで、4月以降増えているという。同社は「診療報酬が改定されたのは、お薬手帳の運営が形骸化しているという批判があったからだろう」と分析。患者に手帳の有用性を説明するため、薬の飲み合わせによる副作用事例などをまとめた冊子を作成中だ。

 こうした動きは多くの薬局に広がり、ポスターを掲げたり、チラシを配布したりする店舗も。アイセイ薬局の担当者は「有用性をアピールするだけでなく、手帳が不要な場合は安くなることも伝え、患者の信頼を得ていきたい」と話している。
引用ここまで====

特に「20円を得るため、薬局は勧めてくるので断ろう」という視点が甘ちゃんというか幼稚というか。
「お金とられるのいやー 金儲け許せないー」とわめいているようにしか見えない。レベルが低すぎる。
だいたい手帳の管理だけでコストは20円を超えるだろう。手帳を忘れた患者には印字したシールを発行してやるほどの丁寧さ。それだけでも20円なんて飛んでしまう。
ちょっとした病気で処方を受ければ自己負担は数百円程度か。たいてい自己負担が3割なので客単価は千数百円である。そこに手間をかけて20円なんて。

そもそもこの制度は商売としては薬局に何のメリットもない。
「手帳がある=別薬局による重複投薬のチェックは薬局の責任」ということになる。しかも電子化されていない手帳の文字を人間が読んでチェックするのであるからなんと面倒でミスを招きやすい作業であることか。
そのためにデータベース管理をしたり、シールを印刷する機械を入れるなんてばかばかしいとしか言いようがない。

別薬局による重複投薬のチェックは患者の責任であるほうが楽なのである。患者が申告せねば薬局に責任はない。その方が楽だ。
それでもルールであるし、患者を守りたいという職業意識からやっていることなのである。
薬局の金儲けとはいいがかりも甚だしい。

とはいえ手帳が万能とも思えない。

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私は本質的には手帳は不要だと思っている。実際私は持病があるので定期的に薬局に行くことになるが手帳はつくっていない。
なぜなら、手帳は無能な患者を救うためのものであり、本来は患者が自分の見識で自己管理すべき領域だと思うからである。
まず、自分の飲んでいる薬ぐらいは理解していなければなるまい。

薬剤師のように細かいことまでは理解している必要はないが、以下のことについては理解し、医師薬剤師に問われたら即答できる必要がある。具体例と合わせて紹介したい。
・なんのため(症状):
 例:胃の痛みを抑える
・どういう薬(薬効):
 例:胃酸を抑制するプロトンポンプ阻害薬
・なんという薬(銘柄):
 例:沢井 ランソプラゾール
・どのくらい(含量・処方):
 例:30mg 1錠 朝食後

できれば、薬の形状もこたえられるとよい。同じ薬でもカプセルもあれば錠剤もあるし、錠剤でもODといって口の中で溶けるものもある。薬効成分以外の成分が異なるのである。
OD錠は調味のためか甘味料のアスパルテームが使われることがある。
カプセルであればゼラチンが使われることがある。
その他、形を作ったり、溶けやすさを決めたりと様々な成分が使われている。
無論、それらは基本的に安全が確認されているのではあるが、特殊なアレルギーなど体質で反応しないとは限らない。
そうした情報にもつながるので有用なのである。

これができなければ、なんとなく医師や薬剤師に言われるがままに薬を飲む愚かな患者になってしまうと思う。それではいけない。

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とはいえもらった薬の理解に人生すべての力を注ぐわけじゃあるまいし、難しいという人もいよう。
似た話を過去にも書いた。
http://mozzo-expresso.seesaa.net/article/357166622.html

同じ薬にいろんな名前がついている。
それでも、ジェネリック医薬品はメーカーごとの製品名を廃し、一般名(薬効成分名)で表示しようというルールが定着し、医師の認識も変わってきているので改善しつつある(どうしても先行薬の名前しか覚えられない医師もまだまだ多いが)。

とはいえ、カタカナの羅列であることは変わりなく、到底覚えられないという人も多いのではなかろうか。

だからといって手帳に頼ればすべて解決とはならない。
病院に行くのはせいぜい一年に一度などと健康な人ならよい。
しかし慢性病があり、複数の薬を処方されている人は手帳で間違いが防げないケースもないではない。手帳が印刷されたものであるからだ。人間が目で確認すると間違いは防げない。また、調剤時に手帳を忘れると手帳に貼るように情報を印字したシールを発行するが、それが貼られている保証もない。

たとえばの話。
長期に薬を飲んでいるとどうしても飲み忘れが出る。また状況によって、たとえば食事ができないときには飲むなという指示が出ている場合もある。結果、薬が余る。
それで、たまに「余っているから今回はこの薬の処方はなくていい」ということもある。その期間余った分を飲むのだ。
たとえばA,B,Cと3種の薬を定期的に飲んでいる場合、Bが余ってA,Cのみ処方されるとする。手帳にはその通りA,Cと書かれる。その前の回の処方を見ればA,B,Cと書かれているのだが見落とす。
そういうこともありうる。

なので、自身できちんとA,B,Cを飲んでいますと伝えられる方がよいのだが。

また、手帳ではなぜその薬が処方されているのか細かい情報も伝わらない。
一つの薬には複数の薬効がある場合もある。そのどちらをターゲットにしているのか。そして、どういう背景があるのか。
たとえば、高血圧の薬がでているとする。明らかに血圧が高すぎるのか、それほどではないが他の病気のため不安だからさらに血圧を下げたいのか。
また、薬を飲んで明らかに効いているのかまだ様子見状態なのか。

これらの情報も医師や薬剤師に伝えた方がいいのは明らかだ。手帳にお任せ、私は何にもわかりませんでは足りない。

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それほど頑張らなくともできることからやった方がいい。手帳を作るなというのではない。手帳だけでは足りないからである。

まずかかりつけ薬局を一つに絞ることである。複数の病院にかかっていてもである。
いまだ病院の近くの薬局でないとダメだと誤解している人がいるらしい。
一つに絞れば自動的に薬歴管理をしてくれる。
また、処方の際にドクターから言われた情報や病状について聞いてくれるので総合的に判断してくれる。

そして、複数の病院にかかっているなら、それぞれのドクターに他の病院で処方されている薬を都度報告することである。
その際に手帳を見せるのも一つではあるのだが、むしろ自分の言葉で明確に伝えられる方がよい。患者として勉強しているのだな理解しているのだなという信頼感が醸成できる。

さらに、中心となるかかりつけ医を持つことだ。かかりつけ医に情報を集約し、手に余る病気は他の病院に紹介してもらうべきだ。そして病状が安定して定期的な投薬・観察に移行したら他の病院からかかりつけ医に巻き取ってもらうことも可能だ。つまり二つの病院に定期的に通院するのをかかりつけ医に一本化するのである。
処方箋が一本化されたらそれこそ20円なんて額でなく節約できるのだが。通院も楽だ。

なお、かかりつけ医は総合病院の医師を選ぶべきではない。
まず、多忙で細かい相談ができない。
常勤ではない場合もある。つまり通院する曜日を選ぶ場合もある。
持病がある人はその専門の、そうでなければ内科(風邪くらいは誰でもときどきは)の開業医を選ぶといい。総合病院にかかるとき(高度な検査、ごく専門の医師の診察)は紹介状を書いてもらうのが正しい。

また、手帳よりは処方の際に薬局が発行してくれる薬の説明をファイルしておいた方がよい(無料ではない)。
薬の写真と情報、注意点などが詳しくまとめられている。
これをきちんと整理できるなら手帳は不要だし、情報量が多いので自分で読んでも役に立つ。

====
最後に蛇足。
先に「どうしても先行薬の名前しか覚えられない医師もまだまだ多いが」としたが本当の話である。
先のランソプラゾールを例にするとこんな感じである。
私:「私、内科でランソプラゾールを処方されています」
医:「ランソ? なんだったっけ」
私:「ランソプラゾール。タケプロンのことです」
医:「あ、あぁ。タケプロンね」

医者を責めてはいかん。忙しいのだ。ことに総合病院の勤務医ともなれば。
医者や薬剤師に完璧を求めるというのも一つの考え方だが、患者がもっと勉強していい。
食堂ならその料理がうまいか否か、サービスが悪いか否かを断じることができる。それと同じように病院も薬局も評価できるレベルにありたいではないか。
posted by Mozzo at 08:11| Comment(0) | 患者のプロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月18日

処方箋チェックで病院と深い付き合いを

私にはいくつか持病がある。
幸いなことに命の危機とか生活に著しく支障があるというわけではない。それぞれ軽いものだ。

子供の頃からのものもあるし、大人になってからのこともある。
それゆえ医者や薬との付き合い方も長らく学び考えてきた。

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薬の過剰投与は長らく指摘されてきた問題点である。
これには二つの側面がある。

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まず複数診療による重複投与である。

たとえば、花粉症の患者がいたとする。目が痒くて鼻がつまる。
眼科と耳鼻科にかかる。原因は一つなのだが二つの科にかかる必要がある。目の腫れ具合にあわせた目薬の選定や痒くてこすって眼瞼・角膜に損傷がないか判定できるのは眼科医である。鼻腔深部の炎症具合や鼻閉の度合いを見て洗浄したり点鼻薬を選べるのは耳鼻科医である。アレルギー用の吸入装置も耳鼻科にしかない。
ここまではいい。
アレルギー全体の症状がでているので抗アレルギー薬の投与を検討する。「アレルギーの病院にかかってますか」と質問をするとかかっていないと答える。耳鼻科と眼科にかかっているのであってアレルギーの病院なんてと思う。それで両方の病院から同じような薬が出る。
そういうことはあるのではなかろうか。

ずっと以前には病院が薬の処方をしていた。そのためこのケースではノーチェックである。医薬分業になってからはこの危険はだいぶ減った。同じ薬局なら薬局で重複チェックができるからである。
だが、それでも問題は残る。
薬局の熱心さとか注意深さは千差万別である。同時に2枚の処方箋を持ち込んだらチェックに引っかかっても日を改めると通ってしまう程度、つまり薬歴をみないところもあるにはある。
また、病院の処方箋は「病院の脇にある薬局でしか」受け付けられないと誤解している人も多々いる。別の薬局に出されたら薬局ではチェックしようがない。

ーーー
そして、医師の体質である。念のため・漫然投与という傾向がある。
慢性疾患の場合、一旦処方を決めて効果が見られなければ中止するのが普通だ。ところがXX症状にはXX薬と単純なプログラムで動いている医師がいるのは事実で、なかなか動かない。
一旦効果があったとしても、これが薬が効いたのかその他の要因、たとえば生活改善や季節が影響したのか、見極めるのはなかなか難しく気の長い話になる。
たいへん面倒で診療報酬につながらない話なので、一旦効果が出たように見えて、長期投与が問題ないとされている薬は長期投与されがちである。

検査結果が良かったから薬を減らしてもいいか、検査結果が悪いから別の薬や療法を探ろうというのが本来だが、医師が忙しすぎるのだろう。


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処方箋が間違っているあるいは処方が間違っているということもある。

私の場合、処方箋の枚数でカウントすると3割にはなるだろうか。ここ最近では連続3回間違っていた。
もちろん私の場合は薬の種類が多い上に慢性疾患ゆえに飲み残しが出るため、今回はいらないとか数を変えるとかややこしい患者である。それゆえ医師も薬局も間違えることが多い。
どんな間違いがあるかは以下の通りである。
・口頭で出すあるいは止めると言った薬がそのとおりになっていない。
・名前が似ている別の薬になっている
・ジェネリック指定が間違っている

私が医師との会話をよく覚えて薬局に行くこと、処方箋も処方された薬も良くチェックすること、かかりつけ薬局を一箇所に集約していること、この薬局が熱意ある人たちであることでうまくミスがはじかれているのが現状だ。
処方箋を受け取った時点で間違いを指摘すると「勝った」と思う。人間間違いはあると思っているので別に怒らない。医者の間違いを指摘するなんてかっこいいではないか。

このへん事情は人によろう。
「これは白い薬で朝食の後、これはオレンジの薬で寝る前ね」
なんて説明をする医師・薬局で患者も理解力が無ければそのまま納得。間違いが埋もれているケースは少なくないと思う。

ーーー
病院側の問題も大きい。
まず、処方箋が今どきコンピュータ化されていないのは間違いの元だ。

医師用のコンピュータシステムには処方できる薬のリストやその内容がきちんと入っている。そのため名前の似ている薬を取り違えたり、容量を間違えたりすることはかなり防げる。
患者の病歴、投薬歴も把握できるので過去との差分を見れば間違いも減る。たとえば前々回ある薬が出ているのに前回は出ていない。これは飲み忘れが溜まったから1回出さなくてOKとなったからだ。今回は必要だが前回だけを見ていると忘れる。紙のカルテで前々回以前をなかなかたどれるものではない。

紙のカルテをベースにオーダーを出し、医療事務が処方箋に仕上げるドクターもまだ多いのだが、コンピュータ化を嫌う医師はたいてい字も下手だ。このプロセスでも間違いが多い。ましてや手書きの処方箋では間違わないはずがない。

コンピュータ化されていれば安心かというとそうでもない。
ジェネリック指定の間違いが大変に多い。
以前は「ジェネリック指定してもいいぞとサイン」、現在は「ジェネリック指定してくれるなとサイン」というシステムである。
サインするしないは医師がPCの画面でチェックボックスを選ぶだけのことなのだが、これが間違っていることが多い。
またコンピュータで処方箋を作っても、最終的に人間の手で判子を押す押さないで区別しているケースも多い。実際には医師が自ら判子を押すのではなく事務方がやるのだがそこにミスが入る。

そうなると慢性疾患の場合、先月までジェネリックOKだったのに今月からダメ??となる。薬局が確認に追われるか患者が割高な先行薬を使うことになるかである。


ーーー
医師や病院を責められない問題もある。

薬品名の混乱が誤りや医師患者の意思疎通に問題を起こしているのは事実ではなかろうか。問題に気づくかどうかは別の問題として。

たとえば胃がむかむかする、胃が痛いと病院に行く。潰瘍など決定的な症状は見られないが胃酸で食道や胃が荒れているようだ。と処方される可能性がある薬。

ランソプラゾール
タケプロン
ラソプラン
タピゾール
タイプロトン
ランソラール
スタンゾーム
etcetc......

これらは基本的には同じ薬である。この中には有効成分の名前、先行薬の名前、ジェネリック薬品の名前が混在している。
ここに薬の形態を表す語がつく。カプセルだのOD錠だの。ODというのは口の中で崩れるという意味。嚥下しにくい人に有効だ。
さらに、薬の用量が15mgだの30mgなどつく。
そのうえ、これらを作っているメーカーも気にせねばならない。
一般人にわかるわけがない

漢字で「胃液抑制丸」「胃酸温和散」などとしてくれればまだ間違わないし患者もなんとなくわかる。だがカタカナの連続は間違える。

上に挙げたカタカナの連続はある意味おなじものを表しているが、意味が違うといえば違う。

まず薬効成分として「ランソプラゾール」がある。
次に日本での先発医薬品として「タケプロン」がある。
そしてジェネリックとしてその他「ラソプラン」等々があるとともに「ランソプラゾール」もまたジェネリック医薬品の名前でもある。たとえば今、製薬会社を立ち上げて「アメーバ製薬」などと作れば、「ランソプラゾール-アメーバ」という名前で出すことになる。そういうルールになったのだ。

薬効成分の名前はなるべく薬学的に厳密であるように命名される。一般受けしない。
そこで各製薬会社は自らのブランド名をつける。その際、薬効成分を連想させる名前と薬効を連想させる名前、自社を連想させる名前が混交する。

ラソプラン(沢井)はランソプラゾールを連想させる名前といえよう。
タケプロン(武田)は社名の武田の武から、プロンはこの薬がプロトンポンプ阻害薬の一種であることからくるのだろう。

先発もジェネリックも好きなように名前をつけていたのだが、ジェネリックについては名前を薬効成分に統一しようやとルールが変わってその過渡期である。混乱は当分続く。

これは医師と患者の会話も阻害するので困ったものだ。患者としてはいつも目にするジェネリックの名前で覚えているし、医師は自分が処方した先行薬の名前で話をする。すれ違うといったらない。挙句の果てに「朝食後に2錠飲んでるやつ」などと明らかに退行した説明をする医師も。こっちは完全に薬の名前を覚えているのに。

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急性の症状はともかくとして、生活習慣病といわれている領域で、安易に投薬に頼っているなと思う。生活指導、しかもどうやったらその指導がうまく行くかという内面に踏み込めば薬はもっと減らせるし、結果もよくなるはずなのに。

たとえば高血圧に対して「塩分を減らしてください」というのは簡単なことである。だがそれが有効かどうかは患者による。
医師にしてみれば食事の塩分量を減らすということは何をすればいいかわかりきったことである。だが患者は必ずしもそうではない。
私のかかりつけ薬局で耳にした会話。
私と同じドクターにかかっている高齢者。このドクターは若干ぶっきらぼうな面がある。それを気にせず質問すると丁寧に説明してくれるのだが。
それもあってか、薬剤師と話しこんでいる。こちらはその分待たされるわけであるが、この会話が面白かった。
「今回血圧の薬が出てますね」
「先生が食事に気をつけてって言うけどなかなか下がらないのよ。
お肉とかいけないとおもってね。なるべく佃煮ですましてるけどそれじゃ物足りないじゃない」
この調子で会話は続く。
「高血圧なら佃煮食うな」と心で静かに突っ込んだ。
薬剤師も同じ思いだったらしく、基本的なところから説明を始めた。こういうのは待たされても気にならないというものだ。
こんなもんなのである。

塩分量を減らすことを理解させ、具体的に調理法などを教え、その生活改善に取り組む心構えや負けそうなときの心理的な対処法を教える。それが求められるところだが、多くの医師は塩分を減らしてくださいで終わりだ。それに従うことが当然と思っているのではないか。
それが忙しさゆえか、金にならないことなのか、そもそも医師というものの性質なのかはわからない。だがそこを改善すれば無駄な薬を使わず生活全体を改善することにつながることは異論はあるまい。

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医療費が高いとか、保険料が上がるとか、患者の負担割合が上がるということにはみな敏感である。だが。肝心の医療の現場で何が起きているか何が無駄で何が不足か、考えることは少ないのではなかろうか。
忙しい医療現場に直接物を言うのははばかられるとは思うが、おのおの意見を持つことはいいのではなかろうか。
まずは処方箋のチェックからである。
posted by Mozzo at 01:07| Comment(0) | 患者のプロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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