2011年09月08日

私は患者として病院を見ているぞ

私は野戦病院にいた。
廊下には患者があふれていた。看護師が走り回っていた。治療を待つ患者のうめき声と怒号が響いていた。。。。。


野戦病院というのはウソ。地元の総合病院である。だけどそのほかは本当。

その総合病院はわが地域の中核病院という位置づけである。
私には持病があるのだが基本的には大病院には行かない。小さな開業医をかかりつけ医にしており、そこでは手に負えない検査や治療のみ紹介で総合病院に行く。
これは大病院への集中を防ぐという意味で患者として正しい行動である。それ以前にあんな異常な混雑の病院に行くのは一日仕事になる。小さな医院で済むことは済ませたい。

その日もかかりつけ医の提案でその総合病院に行ったのである。大混雑であった。まるで野戦病院のような光景がそこにあった。
待合室の椅子は全て埋まり、立って待つ人も大勢いた。私も3時間立つ羽目になった。たまたま検査のためであって特別体調が悪いと自覚していたわけではないからよかったようなものだ。体調が悪くて3時間もたたされたら病院に行って病院送りになる羽目になる。

看護師や事務の人が書類やら検査結果を持って文字通り走り回っている。診察を受けに来た入院患者の車椅子を押している看護師は、一人で二つの車椅子を器用に押している。雑技団も真っ青。
外来担当の医師も大変だ。午前中の診察が午後に押している。あれでは昼食どころかトイレ休憩すら取れまい。

そんな中で病院関係者にクレームをつけて怒鳴っている患者もいる。待たされて気が立っているらしく10分も20分も文句を言い続けている。
クレームを受け付ける病院の人も大変だが横で聞かされるこちらもうんざりする。ああいう爺さんは塩化カリウムの濃いところをちゅーっと点滴してやればよろしい。

病院は社会の弱い部分の縮図だ。いろいろと考えさせられる。

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ざっと見た感じ、6〜7割が高齢者、2〜3割が中年、若い人や子供は1割にも満たない。
なるほど高齢者医療にかかる医療費が高いというのはわかる。
だが、年齢が進めば体に色々故障が出るのは当然のことなのである。人数の割合が高いとか、必要とする薬剤や治療が多いのは仕方ないことである。これを医療費値上げで押さえ込もうとすること自体が間違っている。

しかし、工夫の余地はある。医者と患者側のミスマッチで効率が悪い上に双方に不満がたまっている。

高齢者はたいてい動きが遅いし理解も遅い。XXさ〜んと呼ばれて気づかないし、気づいてもよっこらしょと動き出してから診察室に入るまで時間がかかる。受診の意図を聞くのも時間がかかれば説明も時間がかかる。医師や周囲の患者の立場からすればいらいらする。

一方で高齢者の立場からすれば年々体の不調が現れ、不安が高まっている。病気の一つや二つ持っていて当たり前、それが悪くなって当たり前、新たな病気を抱え込んで当たり前なのだがそこまで達観できるものじゃない。
介護に頼るのか、医療費は払えるのか。じっくり説明を聞きたいし、この不安を聞いて欲しい。なぜ医者はめんどくさそうでこちらの話を聞かないのか、なぜ看護師の説明は早口で全く理解できないのか。

全くのミスマッチである。

事前に患者の話を聞き要点をまとめる人を配置するとか、同じ病気のグループを作って悩みを語り合う場をつくるとか解決方法があるはずだ。


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非効率はこれだけではない。
今回例に挙げた病院は施設の問題も大きい。古い建物で現代的な病院とは言いがたい。
検査結果などの書類を職員が持って走り回っている。古くからエアシューターといって、パイプを建物にめぐらせ圧縮空気でカプセルに入った書類をやり取りするシステムがあるがそれすらない。ほとんどはIT化できるだろう。
そのほか、検尿の検体を人手で集めて歩いているし、エレベータすら旧式で集中制御していないから効率が悪いといったらない。
せめて建物に手を入れなくてもできるIT化をすればいいと思うのだがこれまた旧式だ。

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どうしてこうなってしまうのか。
原因は様々あろう。
スタッフが疲弊していて、日々こなすのがやっと。改善する余裕がないのかもしれない。建物を建て替えようにも新しい建設地が見つからないのかもしれない。単純に理事長がけちなのかもしれない(まさか)。

だが資金不足が原因になっているケースも多々あるようだ。赤字経営として破綻する病院もある。
しかし、患者の来ない病院じゃない。いつも混雑している。それで資金不足ではどんな病院なら安定経営するというのだ。

おりしも東京は練馬の大学病院が撤退するという報道があった。
地域の中核病院でことに小児科の対応が優れていたという。赤字経営も徐々に改善していたというが、なぜ撤退なのかと波紋を呼んでいる。
どうも経緯が不透明な感じもするが、一部の報道では診療報酬が安すぎていくら患者が集まっても経営が成り立っていかないのだそうだ。
ことに小児科と産科は手間がかかるしリスクも大きいしで、経営的に成り立ちにくいらしい。何しろ時間を選ばないからスタッフも多くそろえねばならない。人件費は放っておいても出て行くお金だ。

市民が求める医療を行おうとしても経営がなりたたない。これは国力にあわない無いものねだりなのだろうか。「技術的には可能なのに医療を我慢しなければならない」のだろうか。

大雑把な数字だけ見て医療費の圧縮を考えるのではなく、予算全体と事業の細部の両方を見て切る物は切る、使うところは使うと判断して欲しいものだ。

医師・看護師は全然足りていない。金銭的にも報われていない。
人数の拡充、待遇改善も必要だが、ITの支援や医師看護師以外の支援で補うこともできよう。
ホントに医療費以外に無駄はないか。世間を眺めるとくだらないことにお金をつかっているのだが。

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一方で処方薬の扱いは考えたほうがいい。単価が正当なものか、乱用はないか、無駄に捨てられていないか。

毎年厳しく審査されているとは思うが、そもそも処方薬のコストなんて不透明だ。製薬会社として商品にならなかった研究費も上乗せされるから、単純に製造コストではないのはわかるが、それは売薬もおなじ。
公の金を出すのだから積算根拠を細かく出させ、適正な価格を求めるべきだと感じる。

また、医薬分業になっても薬の出しすぎ傾向を感じる。
念のために出しておきますかとか、前から出ているから惰性でという処方があるように思う。
「薬を出さない」という判断は手間がかかるのである。患者の状態を細かく見て、自らの知識と経験をフル回転して、しばし熟考せねば判断できない。とりあえず出しておくという判断の方が楽だ。薬疹が出るほど量が多いとか組み合わせが悪いのはすぐにわかる。
医師が悪いとは言わない。処方箋も大急ぎで書かねばならない忙しさがいかんのだ。

また処方されている薬が無駄になっている例もおおいと思う。
自分に処方されている薬が管理できない人が意外とおおい。薬剤師と会話もできない。
慢性病ともなればどうしたって飲み忘れが出る。それは仕方ないことだ。それがなんどかあるといつの間にやら処方箋1回分の量がたまる。そうしたら処方を断ればいいのにしない。結果、何か月分もの薬が死蔵されることになる。

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また薬以外の医療関係用具・用品も考えたほうがいい。
現在輸液や消毒綿、注射針などなど、種々の用具用品が使い捨てかつReadyToUseになっている。ReadyToUseとは封を開けたらすぐに使える状態になっているということだ。昔は輸液も消毒綿も看護婦や薬剤師が院内で調整したものだし、注射針など滅菌して使っていたのだ。

もちろんこれにより看護師や薬剤師の負担が減り、医療ミスも減ることにはなった。
だが、その分多くの金が医薬品メーカーに渡ることにもなった。そのコスト算定は妥当であろうか。病院の経営を圧迫してはいないだろうか。
私の通う医院では採血の際、なるべく翼状針をつかってくれるなとドクターからお達しが出ている。私は血管が細いので体調によっては翼状針でないと取れないことがある。翼状針は高いのだ。

医療事故とはいえないレベルでは結構使いまわしなどもある。
本来使い捨ての検査着が使いまわしだったり、検査のために顔を当てる部分にある紙がセットされていないとか、大学病院でもそのレベル。ええ、名前は出さないけど。内情は苦しいのですなぁ。


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無論無駄遣いは批判され改善されねばならない。
だが、基本的に医療や介護には金がかかるものだ。また、医療や介護を受ける人は金を持っていないのが普通だ。金持ちが受診しても金持ちでい続けることができるかどうか。病気や怪我をすれば貧しくなるのは普通のことだ。

医療費が高い高いと批判するのは簡単だが、いかほどであれば適正なのか。そうした議論がない。また、医療そのものと医薬品にかかる金の比率もどうあるべきか議論がない。たとえば生活習慣病の多くは医薬品を使わずともアドバイスと励ましで快方に向かうはずなのだ。

医療費を削れればいい人たちと、医薬品メーカーのひも付きの人たちで議論してもなんら改善しない。医療に携わる人を増やし人件費にこそ金を使うことが求められていると思うのだ。患者の立場として。
posted by Mozzo at 15:24| Comment(0) | 患者のプロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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